発行物紹介
introduction
このカンケイをなんとよぼう サンプル
SAMPLE
考えてみれば、最初から兄弟という関係性に惑わされてきたものだと思う。
ソハヤノツルキがその本丸に顕現したのは、葉月が終わろうとしている暑い夏の日のことだった。
「ソハヤノツルキ ウツスナリ……。坂上宝剣の写しだ。よろしく頼むぜ」
口上と共に目を開け最初に認識したのは、舞い散る淡い桜色の花弁とその向こうにいる人間。この人間が己を顕現させた主なのだろうと、ソハヤは誰に言われるでもなくそう認識した。奇妙なものだと思いながら、あんたが俺を呼び起こしたのかと聞けば、主らしき人間が喜色満面の笑みを浮かべて興奮を抑えきないように数歩の距離を一気に詰めた。
早口で捲し立てられた話を要約すればこの人間は主で間違いなく、来てくれて嬉しい、資材が尽きる前でよかった、などを言って泣きそうになっている。勢いに圧されて困って周りを見回すと、主の数歩後ろに控えていたものたちと目が合った。今しがた見た淡い桜色よりも更に薄い色をした、見知った刀がきょとりとしていた顔をぱぁと笑みに変える。
「ソハヤさん、お久しぶりですね!」
「おお、久しぶり物吉……っていうか、どうにかしてくれ」
「主様は鍛刀運が悪くて、期間限定鍛刀のときは資材を使い切っても目的の刀がなかなか来ないですもんね」
見知った刀である物吉貞宗に助けを求めてみれば、少しばかり違った回答が返ってきた。そうじゃない、とは思ったが、物吉はこちらの困惑を判っていたようで、ぐず、と鼻をすすり始めた主の背中を優しく擦る。
「やりましたね、主様! お正月の不運を吹き飛ばすくらいの幸運ですよ!」
うんうんと頷く主に、幸運を運ぶお手伝いができて嬉しいです、と物吉が続ける。主は物吉のおかげだよと言いながらその白い服にすがりついて、それを物吉は嬉しそうに宥めた。
そんな光景を見ながら、これが今日から己が守る主かと苦笑する。先程顕現したばかりであるが、やり取りを見ていれば主の性格など多少は判るうというものだ。けれど、ここまで熱烈に歓迎を受けたのだ、悪い気はしない。
「主」
主と物吉のやりとりを多少困惑しながらも見守っていた耳に、知らない声が聞こえた。主は物吉に抱きついていた体を起こして、その声の方を向く。先程物吉の隣にいた、布を被った刀が呆れたようにため息をついた。
「時間が、ないのだろう。いいのか」
あっ、と声を上げて主は壁にかけられた何かを見ると、慌てて着物の襟を正してソハヤに向き直り、ぱたぱたと服で拭った手を差し出した。馴染みのない動作ではあるがそれが挨拶であるとソハヤは知っている。手を握ると少し力を込めすぎたようで、痛い、と笑われた。まだ人の身に慣れていないのだ。言って僅かに力を抜くと、向こうから固く握り返される。
これからよろしくと告げた主は、ソハヤを呼び出した目的を簡単に告げ、歴史を共に守るということへの意志の確認を行うと、布を被った刀を呼んだ。側へ来た刀へ指示を出し、主は再びソハヤへ向き直る。先程までの感涙の顔ではなく何事かの決意をにじませた主が言うには、今は己ともう一振りの刀が特別に鍛刀できる期間であり、後一時間もせずにその期間が終わってしまう。それまでにもう一振りの刀、曰く己の兄弟を顕現させるべく頑張るから、先に山姥切に本丸を案内してもらってほしいとのことだった。
「兄弟?」
呟いて目を瞬かせたあと、その言葉の指すものがなにか、すぐに思い至った。
「ああ、大典太光世か」
「はい。ソハヤさんのご兄弟の大典太光世様も、今回期限付きで鍛刀できるんですよ! これを逃したら次はいつ顕現できるか判らないし、主様は政府から通達があった時から、お二方を顕現させるんだって張り切ってましたから」
補足してくれたのは物吉だ。主はその横で、結局期間終了間近になっちゃったけど、と少しばかり落ち込んだ様子を見せている。
「なるほどなぁ」
兄弟、ともう一度声にはせず呟いてみる。
大典太光世という刀と己は兄弟関係にある。それに間違いはなく、不思議と受け入れられた。というよりも、己はその刀を兄弟であると認識しているのだろう。刀であるころは、一度もそのようなことを考えたことがないというのに。
その事自体を不思議に思った。へえ、と呟いた声は果たして主に届いたのだろうか。
待ってて、の言葉でソハヤと山姥切と呼ばれた布をかぶった刀は鍛刀場を追い出されてしまう。戸が閉まってしまえば、懐かしく温かかった炎の空気は遠ざかってしまい、それを僅かばかり惜しんだ。
「……ここが鍛刀場だ」
惜しんでいたところに唐突に話をされて思わず振り返る。山姥切はその視線に気づいたのか被っていた布をさらに深くかぶるようにして、ソハヤの視線から顔を逸らす。
「鍛冶場という方が馴染みが良いか。……審神者は刀剣をここで作り、俺たちを起こし、刀剣男士として顕現させる」
視線は逸らすものの主から言付かった役目を放棄するつもりはないらしく、山姥切は説明を続けた。
なるほど、ここが鍛冶場なのだとしたら、懐かしく思うのも当たり前かと思う。刀を生み出す炎。すべての刀剣は炎の中から生まれてくる。
「行くぞ」
そんなことを思っていると、説明は終わったとばかりに山姥切が歩き出す。次の場所へと向かうのだろう、こちらがついてくることを確認せずに歩き出した山姥切の、歩調に合わせてひらひらと揺れる布を追う。少し汚れたようにも見える布は、足だけを僅かに覗かせるだけで体全体をすっぽりと覆っている。興味を惹かれて横に並び立って顔を見ようとするが、横顔すらも布に阻まれて見えない。覗き込もうとすればすぐに顔を背けられる。
「なぁ、その布邪魔じゃないか?」
「別に、問題はない」
この話題は終わりとばかりに、山姥切は強引に切り上げてさっさと歩いていってしまう。山姥切が写しであることを気にしていて、同じ写しである己のことが気になっていたと知るのはもう少しあとのことだ。
山姥切は話しかければ基本的なことは答えてくれた。答えたくないものについては言い淀むので、ソハヤもそれ以上は追求はしなかった。その話によると山姥切はこの本丸の初期刀と呼ばれるもので、主が審神者の任についてからずっと一緒に戦ってきたのだという。今日も近侍という任で、審神者と共に鍛刀をしていた。この本丸は稼働して数年、初期勢の中ではなかなかの戦績を収めていると道すがら説明された。
案内された本丸内は広く、聞けば本丸にはもうすでに四十を超える刀が暮らしているとのことだった。更にこの先増えるだろう刀剣男士のために最近増築したばかりだという。その言葉通り数多くの刀とすれ違い、自室になるのだという部屋へ案内されている最中には空き部屋をよく見かけた。刀剣男士たちは見た目も雰囲気も霊力も様々なものであったが、見かけるたびに主と同様手放しで喜んでくれているのが伝わって悪い気はしなかった。資材が枯渇しなくてよかったと言っているものもいたので、鍛刀場で聞いた刀を顕現させるために資材を使い切ったことは主と同じく刀たちの心に傷を残したことが見て取れる。主は今も鍛刀中だ、とは言えなかった。
自室となる部屋を紹介され、畑や厩、出陣についての簡単な説明を受けてから本丸に戻ると、物吉が二振りを待っていた。
「ソハヤさん、山姥切さん、お疲れ様です!」
「物吉がいるということは、鍛刀が終わったのか」
「はい」
頷いた物吉に、山姥切がはぁとため息をついた。
「駄目だったか」
「僕もお役に立てず」
「いや、主の運が悪いのは今更のことだろう。物吉のせいじゃない。……それで、資材は」
「なんとか大丈夫ですよ! 主様も、お正月のようなことにはならないようにって気をつけてらっしゃいましたから」
物吉の報告に、山姥切は今度は安堵の息を漏らす。その一連のやり取りだけでも山姥切が苦労していることが判り、大変だななどと感想を漏らせば布の下からじとりと睨めつけられた。
「山姥切さん、主様が執務室に来てほしいとおっしゃってました。ソハヤさんの本丸案内は僕が引き受けますね」
「……判った」
審神者からの言伝を受け取った山姥切はソハヤへと振り向くと、兄弟を顕現させれなかったことを謝ってくる。そのときに初めて真正面から山姥切を見て、なかなかにきれいな顔をしているのにもったいないと思った。
「すまないな、兄弟を呼び出せなくて」
「主様も申し訳ないって言っていました」
己が顕現しただけで泣きそうになる主のことだ、おそらくかなり落ち込んでいるのだろうと何となく判って、ソハヤは笑う。
「いや、別にいいって。今日は無理だったけど、顕現が出来るってことはいつかは来るんだろ? ならそれまで気長に待つさ」
「次、か……だがいつ来るかはわからないぞ」
「大丈夫だって。俺は長い間置物だったからなぁ。待つのは得意なんだ」
布と金色の前髪に隠れていた翡翠の目が、じっと真意を探るようにこちらを見つめてくる。ひらと手を振って見せれば、納得したのだろうか、ついと視線が逸らされた。
「物吉、後は頼む。説明は、一通りは終えたはずだ」
「了解しました!」
それだけを言うと、山姥切は主の元へと向かっていった。ひらひらと動く布を見送っていると、落ち込んだ主様を慰めるのは山姥切さんにしかできないんですよ、と隣で物吉が呟いた。やはり主は落ち込んでいるらしい。
「さて。ここからは僕が案内しますね! さっき山姥切さんが一通り説明は終えたと言っていましたし、外から戻ってこられたということは本丸の説明は終わっちゃったような気もしますけど……。あ、内番や出陣などの説明はされましたか?」
「いや、説明はなかったな。本丸の構造となんの部屋かを案内されただけだ」
「わっかりました、ではそこについてお話しますね」
こちらへ、と促されるまま物吉についていく。山姥切とは違い顔見知りであるからか、途中途中の会話もそこそこ弾み、様々なことを聞くことができた。主があそこまで兄弟の顕現に力を入れていた理由も聞いた。
「主様、昔から兄弟の誰かが全然出ないらしくて……今回はさらに鍛刀だからって半ば諦めてたんですけど、ソハヤさんが出たからって意気込んでたんです」
「俺のせいで資材減らしたみたいですまねえな」
「ああ、いえ、大丈夫です! 元々ソハヤさんを顕現するまでにもかなり資材使ってますしね」
「お前たちもなかなか大変だな……」
どこか遠い目をしている物吉の苦労も伺えるというものだ。
己もそのうちこのような顔をするようになるのだろうかと思い、それはなんとも不思議な感覚がした。どことなく据わりが悪い、そんな微かな違和感。
なんだろうかと首を回していると、どこかから聞こえてきた楽しそうな声に、ふとそちらへと顔を向けた。歩いていたのは庭が見える縁側で、顔を向けた先には庭が見える。そこで、短刀たちが何かをして遊んでいた。遠くを見れば同じような縁側を何かのかごを持ったものたちが行き来している。畑では畑当番が土を耕し食料を育てているのを見てきたし、厩では馬当番が馬の世話をしているところを少しだけ見た。
「さっきも山姥切に言ったけど、ここでは刀が主の守りや戦働き以外の仕事をするんだな」
「そうですね。どれもとても重要なお仕事です」
「人みたいだなぁ」
呟いてから、そうか、と得心する。ここにあるのは、まるで普通の人の営みだ。刀であるはずの己たちが人と同じような生活をする。だからまだ刀から顕現したばかりの己は、それを違和感と捉えた。
ぽつりと呟いたつもりのそれは思いの外大きく漏れていたようで、物吉が歩みを止めた。ふふ、と笑う物吉の声に気づいて、ソハヤも立ち止まる。
「なんだ? おかしなことを言ったか?」
「いいえ。ソハヤさんも刀だなと思いまして」
「なんだそれ」
物吉はゆるい笑みを浮かべたままソハヤの隣に並ぶ。
「多かれ少なかれ、ここに来た刀剣男士の皆さんは初めは人としての生活に戸惑うものなんです。だからその感覚は間違ってはいません。どう在っても、刀と人の違いは埋められないもの。僕たちの意識は刀です。けれど今は人の身を得ています。だから心と存在とが、少し乖離しちゃうんですよね。それを埋めるために、こうして本丸で人と同じ営みをするんです。それ以上に、僕たちは今は人ですからね、人を真似ないと生きてはいけません」
「そういうものなのか」
確かに、物吉は刀で在ったときの印象より柔らかいように見えた。顕現したばかりでありながらも、話して歩いて息をすることができる。人として存在していく上で必要なことは最初から識っているが、顕現して本丸で過ごした経験がそうさせているのだろう。
刀でありながらも人である。この本丸で過ごすうち、そのような存在になっていくのかもしれない。
「はい、そういうものです。だからソハヤさんもいっぱいいろんなことを経験してくださいね。そしてそれを、大典太さんに伝えてあげてください」
「兄弟に、か」
思わず少し声の調子を落としたソハヤを、物吉が不思議そうに見上げてくる。
「どうされました?」
「ああ、いや、なんていうか」
じっと見つめられて、がりがりと頭をかく。鍛刀場で兄弟と呼ばれ大典太光世を思い出したときのことを思い返して、また不思議な感覚が胸に満ちる。
「不思議だな、と思って」
「不思議、ですか」
「その、兄弟、っていうのがだ。大典太光世が俺と同じ三池典太光世作で、だから兄弟だってのは理解しているんだが、刀のときにそんなこと一度も思ったことがないからな」
大典太光世という刀が己の兄弟だという認識はある。その刀が己にとって、主を同じくした物吉や同じ写しである山姥切のような刀とは違った存在であるということも、判る。だが、長い間器物としての刀で在り続け、物には当てはまらない人のような関係性を意識したことはない。思い起こすことの出来る刀で在った頃の記憶の中でも、自身以外の刀工三池典太光世の刀に繋がりを感じたり何かしらを思ったことはない。人の言う感情を抱いたことがあるのは、主に対してくらいのものだ。
だというのに、己は大典太光世を兄弟として認識し、刀で在った頃にはなかった兄弟の縁というものを感じている。それが不思議だった。人の枠に収められた刀の関係性に戸惑っている、というのが正しいのかもしれない。
「兄弟って、どういうものなんだろうな」
「ふふ。同じですね、僕と」
「お前と?」
「はい。……実はですね、僕にも兄弟の刀剣男士がいると、主様が言っていました。まだ顕現はできないみたいなので会えるのは先の話なんですが。まだ僕も兄弟というものがどういうものかは判らなくて、少し不安もあります」
「俺より先に顕現してる物吉でもそうなんだな」
兄弟とは、同じ親から生まれた子供のこと。刀である己たちには縁遠い関係性であるために、実態がよく分からないのは仕方がないことなのかもしれない。ある日突然兄弟ができたと言われるようなものだ。
「でも、兄弟と会えるのが楽しみなんです。刀で在ったままでは得られないものの一つですから」
少し照れくさそうに言い切る物吉の顔には、まだ見ぬ兄弟への素直な感情が現れていた。そしてその感情は、この本丸で人として過ごしてきた日々があるからこそのものなのかもしれない。きらきらとした笑顔を見ていれば、先程感じた些細な違和も、漠然とあるいろいろな不安も、この本丸で過ごす内になんとかなるかもしれないなと思う。
「それに、この本丸にはご兄弟や同じ刀派の刀がいっぱいいますから、何かしらの参考にはなるかもしれませんよ! 大典太さんがくるまでには少し時間もありますし、一緒にいろいろお話聞いたりしましょう」
「ああ、そりゃいいな」
次にいつ兄弟が顕現できるようになるかは判らないが、その分猶予をもらったと考えればいい。今日もし同時に顕現されていたとしても、きっと己は同じような感覚を抱くだろうから、これでよかったのかもしれない。
「じゃあ、僕たちの仕事についての説明が終わったら、さっそく兄弟刀の方々にお会いしてきましょう!」
「んあ? もう必要なくないか?」
「いえ、善は急げです! それに皆さんとも早く仲良くなれますよ」
ほら早く、と脇差らしい強引さに引きずられるようにして、ソハヤは本丸に残っていた兄弟を持つ刀へと挨拶に回ることになった。