発行物紹介
introduction
みかつる
満ちて、落ちて、色づく
その鶴丸国永は死んでいた。
心臓が動いていない鶴丸と与えたがりの三日月のお話。
シリアス。最後はハピエンです。
サンプルページは飛び飛びです。
※表紙にR18と入っていますが、全年齢本です。
R18部分が入れられませんでした…。
※独自の解釈・審神者・捏造本丸設定が出てきます。
※オリジナルの審神者や政府役員が出てきて喋ります。名前はありません。
※ゲームにない設定がたくさん出てきます。
※誤字脱字はあります(今回見直す時間が少なかったため特に多い可能性もあります)
満ちて、落ちて、色づく サンプル
SAMPLE
その鶴丸国永は死んでいた。
「おぬし、心臓が動いておらぬな」
初めて顔を合わせた刀は、鶴丸の胸に手のひらを当てながらぽつりとそう呟いた。その声は驚きを含むようなものではなく、淡々と事実を述べているような、そんな平坦な声だった。
「そうだが、それが?」
だから鶴丸も、平坦な声でそれに応える。
「……ふむ?」
ただ事実を肯定しただけだというのに、目の前の刀は不思議そうに小さく首を傾げる。合わせて揺れた頭飾りが、しゃらりと音を立てた。
顕現当初より動いていない心の臓は、鶴丸にとっては当たり前のことで単なる事実だった。脈を打つこともなく血を送ることもなく、音を立てぬ心臓を持って鶴丸はここに在る。それを指摘されたからといって、今更驚くようなことでもない。
「人の身は心の臓が動かねば生きてはおれぬが……だが、お前は生きているなあ」
のんびりとした言葉が耳を通り抜けていく。
人で言えば、心臓が動いていないということは死んでいるということなのだろう。だとすれば、己は死んでいる、ということになるだろうか。
熱を持たず、音を持たず、それでも息をし、思考し、心の臓が脈を刻んでなくとも確かに存在している。意思を持って動いていることを生きていると言うならば、生きているともいえる。
だが、例え生きているとしても。
「俺は死んでいるさ」
自意識としては、鶴丸国永は死んでいた。
生きながら、死んでいた。
この本丸に顕現した鶴丸国永は、励起され顕現した当初から心臓が動いていなかった。母なる火の心地よい熱に全身を包まれながらも、その熱を持たずして鶴丸はこの本丸に顕現した。
「鶴丸国永だ」
口上を述べず、ただ名を述べただけの己を見つめる審神者とその隣りにいた刀のぽかんとした顔が、鶴丸が顕現して最初に見た景色だった。
これからよろしくと手を取ったふたりに冷たいと驚かれ、様子がおかしいとの初期刀の指摘に色々と本丸内で検査をした結果、心臓が動いていないと判明した。結果を見た審神者と刀が固まる。
通常の鶴丸国永であれば、否、鶴丸でなくとも通常の刀剣男士ならば動揺するところだろうが、鶴丸はその結果に何も思うことはなく、報告を受けてただ「そうか」と一言返しただけだった。今世では再び刀を用いて戦うということを識っても特に心は沸き立たず、同じ元主のもとに在った刀を紹介されてもなんの感慨も浮かばなかった。表情を変えることがなかったため、慌てたのは審神者と初期刀、それから本丸付きの管狐だった。
「個体差があるって言っても、個体差ありすぎじゃね? 驚かせてこないしあんまり喋らないし笑わないし、伊達での思い出もないみたいだし、心臓動いてないし……」
審神者が困ったように頭をかく。
「来歴の記憶がないのは稀に見られることですので、さほど問題はありませんね。それと、鶴丸国永という付喪神としてはどこにも異常は見られませでした。薬研様や皆様と協力して簡易的ですが様々な計測を行いました。結果、能力値、神気、その他の数値を見ても、彼は確かに鶴丸国永として顕現しています。審神者様の霊力も、ちゃんと循環しているようです」
「心臓ないのに能力値同じなの? っていうか、生きてんの? いくら俺たちが刀剣男士とはいえ、人として超重要な臓器でしょ、心臓」
「数値から考えるならば、鶴丸国永は生きておりますね。人は心臓がなければ生きてはいけませんが、刀剣男士はまた別なようです。こんのすけも初めて知りました。詳しい状態は不明ですが、この鶴丸国永はきちんと刀剣男士として顕現をしています。……稀に欠損や異常を持って顕現する男士の話は聞きますが、このような症例は過去の事例にも見当たりません。やはり一度、政府に報告し、しかるべき部署できちんとした調査をすべきかと」
「だっ、だめだ!」
こんのすけの提案を遮るように、審神者が声を荒げる。
「政府はだめだ! だって政府に渡したが最後、研究所とかに連れて行かれて実験されるんだろ!?」
「そのようなことはありませんよ、審神者様。政府は刀剣様に対して最大限の敬意を払っております。漫画の読みすぎでは?」
「主はほんとに妄想力たくましいよね~。主のそーゆーとこ好きだけど、俺も一回政府にちゃんと調べてもらったほうがいいと思う」
「だってさぁ加州~。それに、報告したら何言われるか分からないじゃんか。査定に響くかもだし……」
「そこ?」
呆れたような刀とこんのすけと呼ばれている管狐に泣きつく審神者の話は鶴丸にはよく分からなかったが、己はどうやら刀剣男士としては欠陥品のようだということはぼんやりと理解した。刀剣男士として顕現されたのに欠陥があった場合どうなるか、顕現時に与えられた知識で考えるに刀解が最適解だろう。どの時代でも、戦で使えない刀はいらないはずだ。
早く刀解の決断を下せばいいのに、審神者たちは何故かぐだぐだと話し合っている。そして鶴丸は、その光景を他人事のように輪の外から見ていた。
「主は鶴丸を刀解も連結もしたくないんでしょ? だったら尚更、政府に相談して協力してもらわなきゃ。このまま俺たちだけで話しててもなんにも解決しないよ。それに何かあってからじゃ遅いからね」
「うーん……」
刀の言葉に、審神者がしばらく唸る。悩むくらいならば、刀解すればいいだろうに。刀解や連結をすると言われれば、それを受け入れるだけだ。けれど審神者はなにがそんなに嫌なのか、うんうんと唸り声をあげながら考え続け、しばらくの後にぱっと顔を上げる。
「なぁこんのすけ、鶴丸に俺の霊力はちゃんと伝わってるって言ってたよな?」
「はい、主様の霊力の巡りには問題はありません」
「じゃあさ、しばらく本丸で様子を見て、それでもこの状態が直らなかったら政府に連絡するってのはどうだ? もしかしたら本丸で過ごしていく内に改善するかもしれないしな! それでどうだ、加州」
審神者の提案に、はぁと刀がため息をつく。
「本当はせめて担当さんには相談してほしかったけど。いーよ、でも期限付きにするからね」
「えっ、期限」
「そ。明らかにこれは即刻政府に連絡すべき案件でしょ。でも連絡せずに様子見をするんだからちゃんと期限決めておかないとね。うーん、そうね……新人はだいたい出陣ができるようになるまでひと月かかるから、それくらいがいいかも。ひと月様子を見て、俺たちが大丈夫って判断したら政府に相談はしなくてもいい。でもやっぱり駄目だってなったら、そのときはちゃんと政府に相談すること」
いーい?と聞かれた審神者が少し不満そうな顔をしたが、もう一度刀が念を押せば渋々ながらに首を縦に振った。どうやら己の処遇が決まったらしく、皆が一斉にこちらを向く。
「よし、じゃあ鶴丸国永。お前は正式にうちの刀剣だ。これからよろしくな」
審神者が差し出した手をじぃと見ていれば手を握られ、つめた、と自ら触れながら驚いたらしい審神者の声が聞こえる。次いで手を握ってきた加州が、刀みたい、と呟く。
そうして鶴丸は本丸に迎え入れられることになった。
世話係としてつけられたのは伊達の刀たちだった。鶴丸には全く覚えがないが、元の主を同じくする刀だという理由で、あれこれ世話をやかれた。
鶴丸は一日、何もせずただ庭を眺めて過ごす。冬の終わりだという庭にはまだ枯れ木しかなく、寒々しい。けれどその景色をただひたすら見つめて時間を潰す。
出陣も内番もしたことはない。鶴丸自身はそれに文句はなく、かといって他にすることも興味もないため、自室の前にある縁側から庭を見ながら昼寝をする日々が続く。
平穏だった。真綿の中に沈み込んでいくような、そんな生暖かく冷たい時間。それを退屈とは思わなかった。それ以外にも、なにも思うことはなかった。生も死も、良いも悪いもなにもないその時間を、鶴丸はただ在るがままに過ごしていた。
そのまま日々が過ぎていくのだろう、と思っていた。
来客があるからと審神者に部屋から引きずり出されたのは、少しづつ空気が柔らかくなり始めた頃だった。
その日も鶴丸は縁側で昼寝をしていた。眠るのは好きだった。起きているときよりも安心していられる気がするのだ。眠ると必ず夢を見るが、まるでそこが自分の居場所であるかのように思え、ひどく安堵する。
そこは冷たい場所だった。風もなく、音もなく、命の気配もない、暗く冷たい場所。そこで己はただひたすら眠っている。ゆりかごのように揺らすものもなく、けれどそこは確かにゆりかごであって、だからこそ満ちる冷たさを厭うことはなかった。
暗く冷たい己が場所での眠りは、一種の安息であった。心地よいとは思わない。過ごしやすいのは確実に本丸の方だ。だが、ここが己の場所なのだ。ゆら、ゆら、と意識がまどろむ。
「あ、いた、鶴丸!」
どたどたと煩い足音が名を呼んだ。まどろんでいた意識が浮上し、目を開く。ぼんやりとしたまま音のする方を向けば、部屋の入口に審神者の姿がある。
「もー、政府からの調査員が来るから執務室に来てって言っただろ!」
言いながらずかずかと部屋へ入り込んでくる審神者を、ぼうと見つめる。鶴丸また寝てただろ、と手を取られると同時に、もう一つ声がかかった。
「主、鶴丸さんいた?」
空いたままの部屋の戸から、ひょこりと小さな頭が顔を出す。その肩で髪の毛の房が小さく揺れた。
「いたよー。また寝てたみたい。加州も手伝って」
「おっけー」
刀と審神者に引っ張られて立ち上がる。このようなことをされなくても起き上がれるが、したいままにさせた。畳の上に脱ぎ捨てていた羽織を着せられ、手を引かれて部屋を出る。ちょうどその時、カンカンと来客を告げる鐘が本丸に響き渡った。
「あっ、やべ、もう来ちゃった! 遅れたら何言われるか……!」
小さく呟いた審神者が少し小走りになり、併せて隣の刀も小走りになると、手を引かれている鶴丸も小走りにならざるを得ない。ふたりに引かれて立派な門の前に辿り着く。審神者が門の横で何かを操作すると、その門が音を立てて開いた。この本丸の清浄な空気とは違う、少しばかり淀みが混じる不快な空気が流れてこんできて、鶴丸は僅かだけ目を細めた。
「本日調査に参りました、政府本丸対策課調査部のものです」
門を潜ってきたのは、一人の人間と一振りの刀だった。審神者は名乗りを上げた者たちを出迎えようとして、けれどその足を止めた。
「せ、せいふのひとたちだ……」
「そうだよ、政府の人が来たの。主、怖気づいてどうするの。ちゃんと出迎えないと担当さんにまた怒られるよ」
刀に立ち止まった背を押され、審神者がたたらを踏んで前へ出た。その様子を見守っている来訪者を見、隣に立った刀を振り返ってから漸く、ぎこちなく来訪者へ向かって深く礼をする。
「はっ、初めまして! わざわざお越しいただき、ありがとうございます。えっと、お、私はこの本丸の審神者です。こっちは初期刀の加州です」
「よろしく」
「調査を担当させていただきます調査員です。こちらは護衛刀剣です」
「三日月宗近だ。よろしく頼む」
お邪魔いたします、と調査員と刀剣が揃って頭を下げた。
「三日月宗近! 三日月宗近だ! わー、本物だ……! こんな間近で見るのは初めてだ!」
先程の物怖じはどこへやら、護衛と紹介された刀に審神者がはしゃぐ。刀が審神者を宥めようとするが、興奮して聞いていないようだ。主、と呼ぶ声がどんどん鋭くなっていく。
「噂には聞いてたけど、ほんとに美人! 見てるだけだと徘徊おじいちゃんって呼ばれてるのが分からないくらい」
「ちょっと、主、失礼でしょ。ごめんね三日月さん。うちまだレア刀って呼ばれてる刀たち鶴丸しかいないから珍しくて」
「よいよい、かまわぬよ。ああ、そうだ。近づきの印にこれをやろう」
何やら袖口をごそごそと漁っていた政府の刀が取り出したのは、小さな菓子の包みだった。それを渡された主は「おじいちゃんだ……」と何故か感動して、また刀に怒られていた。
「加州にもやろう」
手のひらに押し付けられた菓子に、怒っている刀の毒気が抜かれていく。少しの間戸惑ったような気配がした後、肩の力を抜いて小さく礼を告げていた。
「おぬしにも」
差し出された包みを受け取ろうとしない鶴丸に、刀がその手を取って握らせてくる。触れた手の温度に驚いたのか、おや、と声がした。
「冷たいな」
呟いた刀は、そのまま何かを確認するように鶴丸の手首に指を押し当てた後、首筋へと手をのばす。しばらく首筋に当てられていた手はやがて滑るように下へと降りていき、するりと胸の合わせへと入り込んだ。えっ、と周りから上がる声を気にもしない刀の手の平賀、黒い襦袢の上から押し当てられる。薄い襦袢の上から伝わるぬるい温度に、なぜだか嫌な感じがした。
鶴丸が身を捩って逃げようとすると同時に、刀はなるほどと一つ頷く。
「おぬし、心の臓が動いておらぬな」
鶴丸にとっての事実を、さも指摘するような響きを持って告げる。心臓が動いていない、だが生きている。のんびりと言う刀へと否定の意味を込めて、死んでいるさと返せば、少し驚いたような不思議なものを見るような顔をして、それからまた胸に手を押し当てる。
無遠慮に胸に触れてくる手は、何を確かめているのだろうか。不思議なこともあるものだなぁ、とのんびりと笑った刀の動きが、布一枚を隔てて伝わってくる。
「これは驚きだなぁ。おぬしに驚きを与えられるとは」
ははは、と言葉だけは笑いながら、けれどそのような空気など微塵も出さずに、刀は飽きることなく鶴丸の体を触る。
何かを話す刀を見つめていると、ぴたりと手の動きが止まった。
「死にたいのか、生きたいのか」
ぽつりとつぶやかれた声が、不意に脳へと響く。ぴん、と空気が張り詰めたのが分かった。
独り言のような、自答のような、問いかけのようなその言葉の意味を理解する前に、背に冷たいものが走る。理由は分からないが、この刀にこれ以上関わるなと本能が警告しているのが分かる。握らされたままだった菓子が、地面に落ちた。言葉もなく乱雑に手を払おうとするが、逆に強く手を握られて、目を覗き込まれる。
視線があった。
暗い夜のような色の中に小さく浮かぶ月を湛えたその瞳に、何故か動いていない心の臓がぎしりと軋んだ気がした。本能が、この刀は危険だと伝えてきている。だというのに、目が離せなかった。
どれくらいそうして見つめ合っていただろうか。
「三日月、鶴丸様が困っているでしょう。その辺りでやめなさい」
「おお、すまぬな。つい」
刀を咎める調査員の声に、ぱっと空気が変わり、握りしめられていた手が離される。去っていく背を呆然と見つめていると、大人しく調査員の元へ戻った刀からのんびりした笑顔が返され、顔を反らし頭巾を被る。
「ははは、振られてしまったなぁ」
「三日月」
元の位置へと戻った刀を叱咤する調査員の声が聞こえた。
三日月。その名にどこか引っかかるものがあり、鶴丸はそっと布の端から三日月を盗み見る。先程聞いたときは感じなかったというのに、三日月という名の響きが気にかかった。記憶を探ってみるが、思い当たるような記録は何も浮かんでこない。そもそも己が持つ記憶は墓の中の薄暗いものしかないのだ、探ったところで見つかるはずもない。なぜ気になるのか、それも分からない。
「それでは本日より鶴丸国永の心臓が動いていない件について、私と三日月にて調査をいたします。審神者様にも後ほど詳しくお話をお伺いしますので、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
じいと見つめていた鶴丸に気づいた三日月とまた目が合う。鶴丸はすぐに視線を外し、その場を後にする。追いかけてくる審神者の声を無視して歩く。一刻も早く、己が領域に行きたかった。
冷たい胸が、どこかざわついていた。