青に揺蕩い、赤に消え 下 サンプル

SAMPLE

 目当ての部屋は大きく戸が開けられていた。顔だけを出して中を覗き込んだ堀川に倣って、和泉守もその上から顔を出す。さして広くもないその部屋は、覗き込んだだけで中にいるものたちの様子が知れた。
 中央に敷かれた布団、その傍らに文机を持ってきて執務をしている審神者と、その審神者と布団を挟んで反対側に山姥切がいた。
「主さん」
 堀川が声をかけると、書類へと視線を落としていた審神者が顔を上げる。堀川と呟いた審神者につられるようにしてこちらを向いた山姥切が、和泉守の姿を見て顔をしかめた。そうしたいのはこっちだっての、と胸中で呟いた和泉守だったが、なんだよと声を上げるよりも先に山姥切がふいと視線を逸らしてしまう。
 本当になんだってんだと憮然として、けれどこの場所でそれを追求するのも憚られ、和泉守はおとなしく口を閉じた。その様子に堀川が苦笑したのが気配で伝わってくるが、審神者に入るよう促されたのでぽかりと軽く頭を叩くだけにとどめて、部屋に足を踏み入れる。
「さっきの出陣の報告ですけど」
「ん。ちょっと待って」
 散らかった文机の上を綺麗にし始めた審神者の横を通り、和泉守はその横へと腰を降ろす。また一瞬だけ山姥切が物言いたげな視線を寄越してくるが、顔を上げる前にすぐに逸らされてしまった。暫く見つめていても山姥切の視線はこちらを向くことはなく、諦めて視線を落とす。
 布団に寝かされているのは、陸奥守だ。原因不明の不具合によって池田屋に出陣し、重傷を負って帰城してから今日で一週間。酷かった傷は癒えたものの、陸奥守の意識は未だ戻らない。一緒に出陣し、同じく重傷や中傷を負って帰ってきた他のものはもうとっくに内番をこなしているというのに、陸奥守だけが昏々と眠り続けている。
 審神者が言うには意識が戻らない原因は不明だが、要因として重傷になった時に神気の低下が激しかったことが考えられるという。
 審神者に顕現された刀剣男士は、付喪神としての存在を人を模した身体に定着させるために神気が必要となるが、神気が低下すると身体と付喪神の存在の均衡が崩れるらしい。通常であれば減少した神気は体の回復と共に戻るらしいが、何故か陸奥守の神気は元に戻ることはなく、こうして眠り続けている。通常の門と遡行用の門の間にある、神気が満ちた手入れ部屋である程度は回復は出来るものの、それ以降は自然に回復するのを待つしか無い。
 こんな症状は初めてだから判らないと狼狽えていた審神者は、外部と連絡を取ってそれらのことを教えてもらったようだった。同時に効果的な回復方法はなにもないということも教えてもらったようで、待っているしか出来ないことに酷くもどかしさを感じていることは、機敏に疎い刀たちでも気づいているようだ。
 陸奥守を手入れ部屋から部屋へと移した後、審神者は気になって落ち着かないという理由で、陸奥守の部屋で執務を行うようになった。
 心配しているのは審神者だけではなく、和泉守の反対側にいる山姥切も同じだった。暇さえあればこの部屋に来て、何をするでもなくただじっと陸奥守の寝顔を見ている。和泉守も幾度もこの部屋に様子を見に来ているが、山姥切がいなかったのは出陣部隊に編成された一度のみである。その心配さ加減に一度だけ張り合ってみたこともあるが、柄ではないなと諦めた。
 じいと、眠る陸奥守の顔を眺める。綺麗な顔は多少の顔色の悪さはあるものの、今にも目を覚ましそうな雰囲気だ。けれどいつもは煩いいびきが今日は聞こえてこない。
 陸奥守は、ただ規則正しく胸を上下させているだけの状態で、ずっと眠り続けている。意識がないというだけで、こんなにも静かで、こんなにも胸を締め付けられるなど、思いもしなかった。まるで、ただそこに在るだけの存在のようだ。
 胡座をかいた足の上に置いていた手を、強く握りしめる。その前で、がたりと審神者の文机が鳴ったのは、食い込む爪の痛みを認識したと同時だった。
「じゃあもう一度確認。今日の出陣予定は鎌倉、実際の出現地は池田屋。歴史遡行軍は討伐完了、討ち漏らしはなし。敵の異常も見られず。途中で検非違使と遭遇。部隊編成は大太刀一、槍一、脇差二、短刀二。負傷者は小夜と浦島と大倶利伽羅。それぞれ、軽傷、中傷、中傷。刀装破壊は特上の軽歩兵が三つ、軽騎兵が一つ、上の重歩兵が二つ。……これで大丈夫かな」
「はい」
 頷いた堀川を見て、審神者が端末を押す。それからふぅと息を吐いて文机へと顔を乗せるようにして身体を丸めると、報告書を記入していた機械の端末を軽く叩いた。
「主さん、そんな風に扱ったら壊れちゃいますよ」
 堀川の忠告もどこ吹く風で、審神者はぱしぱしと何度も端末を叩きながら「だってさぁ」と不貞腐れたように言う。
「もうこれで連続十回出陣に失敗してるじゃん。今日は墨俣の予定だったのに、こんなに続くと嫌にもなるって。この間の件もあるし、やっぱ俺がまだ未熟だからこんなに失敗が続くんじゃないの。和泉守だって白昼夢見るし」
「全部が全部主さんのせいじゃないですよ。それに、政府からは異常は見当たらないって言われたんでしょう? なら大丈夫ですって」
「本丸に異常がないら、やっぱり俺のせいだろ。本丸の管理と男士の顕現は審神者の力に依るところも大きいし」
 いつものように愚痴愚痴と言い始めた審神者に、もう、と堀川が溜息を零す。
「政府が問題ないって言ってるんですから。もしかしたら、主さんじゃなくてなにか別の要因があるのかもしれないですよ」
「何かって、なに」
「前回の朽ちた本丸の影響とか」
 朽ちた本丸という言葉に、和泉守は眉をひそめる。隣では山姥切も反応したようで、薄汚れた布が揺れ動いた。
 約一ヶ月ほど前、この本丸では不具合が多発した。止まない雨に変えられない天候、遠征先が変わってしまう不具合。これらの不具合は結局、何らかの事情で政府との連絡を断ち放置されて朽ちた本丸が、この本丸を引き寄せていたために起こったことだった。
 本丸の座標は普段は隠されており、他の本丸と空間を繋ぐことはできない。本来なら座標を特定されることもなかったのだが、偶然が重なった結果、この本丸が朽ちた本丸に引き寄せられ空間が繋がってしまった。後から調査に入った政府の話によれば、それによる影響や異常はほぼないだろうとのことだった。
 だが、本来起こるはずのない事が起こってしまった場合、同じことが繰り返し起こらないという保証もない。朽ちた本丸との繋がりは政府が断ち切ったらしいが、繋がった時に入り込んできた異質な神気もあるかもしれない。ただでさえ一人の審神者の神気に満たされている場所なのだ。他の神気が入り込んできたらどんな不具合を起こすかは判らない。
 続く出陣の失敗はそのせいではないのかと堀川は言う。
「じゃあなんで政府は異常なしって言ったんだよ」
「政府の調査では異常が見当たらなかったのかも」
「うーん……それじゃあまた調査依頼しとくかぁ」
 調査依頼の書類を書くの疲れるんだよなと言いながら、審神者が端末を叩く。
「それで、和泉守は? 今日は大丈夫だった?」
 審神者と堀川のやりとりをぼんやりと見ていた和泉守は、話を振られて漸くかと口を開く。
「いや、大丈夫じゃねえな」
 審神者の問に小さく首を横に振りながら答えると、またかぁ、と落ち込んだ声が返り、堀川の苦笑が続く。わざわざ和泉守がここに来たということはそうであると判っているというのに、審神者は毎回そう問いかけをする。
 審神者が大丈夫かと問うのは、和泉守の見る白昼夢のことだ。白昼夢が起こる度に報告するように言われているため、こうして審神者を探して己が見たものを告げるのが日課になっていた。日課になってしまうほど、和泉守は白昼夢を繰り返し見ている。
「今日はどんなの?」
「畑の内番で大根を穫ってた。あと、天使の梯子を見たな」
「天使の梯子? それ普通にあったわけじゃなくて?」
「近づいてったら消えたんだよ。んで、部屋を間違えた」
「白昼夢の時って絶対に部屋間違えるよな、和泉守。それで陸奥守は」
「いた」
 むくりと起き上がった審神者は、和泉守の報告を端末に打ち込んでいく。
 出陣先が変わってしまう不具合と同様に、和泉守の症例も政府には報告済みだ。その際に、刀剣男士が白昼夢を見たり記憶の混濁を起こすのは珍しいため記録を付けてくれ、と言われたらしい。面倒くさいと言いながらも、審神者は毎日のように訪れる和泉守の白昼夢の内容を記入している。
「やっぱり陸奥守の頻度が高いなー」
「ぐ」
「それだけ兼さんが陸奥守さんのことを心配してるってことだよ」
 声を詰まらせた和泉守への助け舟をだした堀川の言葉に、山姥切が顔を上げた。視線が突き刺さるのを感じ、どうにも居心地が悪くて口を引き結ぶ。
 報告書の記録が済んだのか、審神者が機械を文机の上に置いた。板と重い金属がぶつかりあう音が、大きく部屋の中に響く。山姥切すら眉をひそめた気配がするのに、それでも陸奥守が目を覚ますことはない。
「池田屋の件といい和泉守の白昼夢といい、何が悪いんだろ。陸奥守は起きないし」
 陸奥守の顔を見ながら審神者が呟く。
「今日は目覚める気がしたんだけど」
「そうなのか?」
「うん、なんとなく」
 一瞬期待してしまったが、勘だと言われて肩透かしを喰らう。それでも一応この本丸の刀剣男士すべてと神気で繋がっている審神者だ、その審神者が言うのならばあながち間違いでは無いだろう。
「主殿」
 皆の視線が陸奥守に注がれている中、戸の外から声がかかる。いいよと審神者が告げると同時に戸が開かれる。皆が同じように揃って顔を向ければ、その様子が面白かったのか、一期一振がくすくすと笑いながら立っていた。
「お揃いですな」
 一期一振は確か今日の近侍だ。何か用かと尋ねた審神者に、笑みを絶やさぬまま頷く。
「政府の方がお見えになられました」
「政府の? 今日はなんにも予定入ってないはずだけど」
「先方もそうおっしゃってましたな。ただ、主殿に直接お話したいことがあると」
「えー、なんだろ。嫌なことじゃないといいけどなぁ」
 言いながら、審神者は先程文机の上に放った端末を持って立ち上がる。
「じゃあちょっと行ってくる」
 審神者は一期一振に連れられて部屋を後にした。その気配が遠くなっていくのを感じ、残された三振りはまた陸奥守へと視線を戻す。
 布団の中で寝ている陸奥守に変化は何もない。ただ穏やかに眠っているだけで、昨日と比べても変わった様子は全くなかった。
「……兄弟。浮かない顔をしているが、何か気になることでもあるのか」
 沈黙の中、言葉を発したのは山姥切だった。突然呼びかけられ、堀川が顔を上げる。
「うーん、ちょっとね。……主さんにはああ言ったけど、出陣先が池田屋ばかりなのがやっぱり気になって」
「ああ。そういえばなんで池田屋なんだろうな」
「出陣先の座標固定の不具合なら、他の時代に飛んでもいいはずなのに、僕らが出るのは必ず池田屋なんだ」
 前の不具合の時は出陣する時代も場所も分散していたが、今回は幕末の時代の池田屋のみだ。言われてみればあからさまなほどに不自然だが、出陣先が違うという不具合の方に気を取られていたので気が付かなかった。
「僕は池田屋に出陣することが、兼さんの白昼夢になにか関連があると思ってるんだけど」
「どういうことだ?」
 確かに、己が白昼夢を見るようになったのは、不具合で出陣先が池田屋になった日の後からだ。池田屋に出陣になる不具合と己の白昼夢を、同一の原因で結びつけることは容易だ。けれど、出陣先の池田屋自体が白昼夢に関連すると考えたことは一度もなかった。
「幕末の時代の池田屋で何かが起こっていて、それで僕達の本丸が呼ばれてしまった。この本丸は一度違う本丸に繋がってるから、引き寄せられたり呼ばれたりしやすくなってる可能性もある。だから出陣先が池田屋ばかりになる」
「そんなことがあるのか?」
「政府の調査では問題ないって話だから、あくまで憶測だけどね。でも今日池田屋の時代に行ったとき、前に他の本丸に繋がったときと同じような感覚……引き寄せられるような感じがしたんだ」
 白昼夢を見始めてから出陣は禁止になっているので、池田屋に行くときの感覚は判らないが、朽ちた本丸に出陣したときの引き寄せられる感覚は、和泉守も覚えている。強い念で、引っ張られるようなそんな感覚だ。
「で、それがオレの白昼夢とどう関係があるって?」
「池田屋の時代は僕達の元の主が活躍した時代でしょ? だから、池田屋に何かがあったときに真っ先に影響を受けるのは僕達だ。特に兼さんは、だんだらの外套を持っていないっていう例外を持ってる。その例外が今回の白昼夢を引き起こしてる可能性もあるんじゃないかって」
「なるほどなぁ」
 だんだらの外套を持たず顕現した和泉守は、政府の調査によって異常は確認されなかった。だが、顕現に異常はなかったとはいえ例外には間違いなく、何が起こるかは判らない。今回はその例外が悪い方へと作用したのではないかと堀川は考えているようだ。
 何かが起こっている幕末の時代に本丸が引き寄せられ、本来持つべきだんらの外套を欠いた和泉守が影響を受け、白昼夢を見ている。
 その考えは一理あると、和泉守は思う。不具合で池田屋へ出陣してしまったこと、その日から和泉守の白昼夢が起こったこと、池田屋への出陣ばかりが続くこと。それらの事象をまとめて考えれば、堀川の推測は筋が通っているように思えた。
「それ、審神者には言うのか?」
「ううん。これはあくまで僕の推測だし、今日感じた引き寄せられる感覚も、部隊の他の刀には聞いてないから」
「そうか」
 審神者に言う気は無いと堀川は言うが、もし堀川の推測が当たりならばまた厄介なことになるなと、和泉守はうんざりした気持ちになる。事実の調査には政府の介入が必要ではあるが、それがなかなかに面倒なのだ。それでなくても、政府の人間は少し苦手だ。
「この本丸は、なにか変なもんを引きつけるものでも持ってんのかね」
 ぽつりと呟いたそれは、審神者を非難するような意図はなく、ただ思ったことが口から漏れただけだ。審神者には悪いが、どうにも悪いことばかりが起こりすぎている気がする。
「そんなことはないと思うけど」
「けどよ、明らかに色々起こり過ぎじゃねえか?」
 うーん、と堀川は苦笑する。心の何処かで微かにそう思っていたのだろう、強く否定はされなかった。
「……あんたのせいだろう」
 だが、否定と反論は別のところからきた。
「兄弟?」
「あんたのせいだ」
 堀川の呼びかけには応えず、山姥切は和泉守を強く睨みつける。明確な嫌悪が込められた視線に一瞬怯むも、そのような感情を向けられる覚えはどこにもなく、逆に睨めつけた。
「んだよ、どういうことだ」
「あんたが来てからすべてがおかしくなった」
「はぁ?」
「遠征の相次ぐ失敗、天候不良、出陣先の不具合。……すべて、あんたが来てからだ」
「んなの、ただの偶然だろ。オレと同じ時期に顕現したやつが他にもいるじゃねえか。オレのせいっていう証拠でもあるのかよ」
 とんでもない言いがかりだと眉を寄せる。己と同時期にこの本丸に来た刀は他にもいるし、目に見える不具合が起きる前に来た刀もいる。なのに己だけのせいにされるのはたまったものではない。事実無根で恨まれても困る。
 証拠や根拠はあるのかと問えば、視線が一層強くなる。対抗するように、和泉守も強く睨めつける。
「落ち着いてよ兄弟、出陣先の不具合は兼さんが来る前からあったじゃない。兼さんも」
 剣呑な雰囲気に堀川が慌てて二人の間に入り込むが、山姥切の睨めつけは止むことはない。酷く強大な嫌悪は、時として敵意にも似る。短気な和泉守がその敵意を受け流すことなど出来るわけもなく、結果、煽られて睨みをきかせるはめになる。
「なんでオレが原因なんだよ」
「それは、あんたがこの本丸の、っ」
 言いかけて、何かに気づいたのか山姥切がはっとして口を閉じ、顔を逸らした。その言葉と態度が酷く気になり、和泉守は続きを促す。
「オレがこの本丸の、なんだって?」
「……」
 けれど、山姥切はそれ以上口を開こうとはしない。その代わりに、強く睨めつけられる。言ってはいけない話なのか。そんな態度を取られると余計に気になってしまう。
 もう一度促そうと口を開いた所で、視界の隅を何かが通り過ぎていく。
「……ん?」
 動いたものの正体を確かめようと顔を向けると、ひら、ひら、と神気の桜の花弁が、陸奥守の上に舞っていた。今日雨の中で見た、否、それより前、陸奥守が重傷を負ったその日、池田屋に出陣する時に見た濃い桃色が、天井からひらりと落ちてきている。その光景に、ぞわりと冷たいものが背を走った。
 なんでこの桜が、この部屋に。
「兼さん? どうしたの?」
 驚いて固まった和泉守の耳に、不審に思った堀川の声が届く。その不思議そうな声に、これは白昼夢だと理解した。
 濃い桃色の花弁は天井から落ち、ひらりと舞っては陸奥守の布団の上に積もっていく。どういう原理をしているのか、布団に落ちた花弁はすぅと赤くなり、次第に赤茶へと色を変えていく。
 陸奥守の上にまだらに散った赤茶色の花弁に記憶にある何かが思い起こされるような感覚がして、和泉守はふるりと背を震わせた。今しがた山姥切との口論で熱くなっていた頭は冷え、脈が早くなる。
「おい、陸奥」
 思わず話しかけたと同時、桜が消えた。
「……っ、」
「……兼さん、大丈夫?」
「あ、ああ。……大丈夫だ」
 心配そうな堀川に軽く頭を振って応える。またか、と口の中で小さく毒づいた。今日は流石に多すぎやしないだろうか。原因の判らぬ白昼夢に苛立ちが募っていく。
 その時、微かに布団が動いた気がした。
「……ん、」
 僅かな身じろぎと、微かな声。けれど静かな部屋でははっきりと確認が出来た。三振りは息を呑んで、布団で眠る陸奥守へと視線を集中させる。
 三振りが見守る中、ゆっくりと陸奥守の目が開いていく。久方ぶりに見た琥珀色の瞳は暫く天井を呆と見つめていたが、覗き込む顔ぶれを確認すると、焦点を合わせるかのように何度か瞬きをした。
「……おん? どがぁした、そがぁに怖い顔、しよって」
 掠れた小さな声に、詰めていた息を吐き出す。山姥切と和泉守がほっとして肩の力を抜いている傍らで、堀川は立ち上がる。
「僕、主さんに知らせてくるね」
 言って、ぱたぱたと廊下を走っていく。今は政府の人が来ているが緊急事態だ、おそらく騒々しさを連れて審神者はすぐに飛んで来るだろう。
「吉行」
 山姥切の問いかけに陸奥守がそちらを向く。酷くぎこちないのは、一週間も寝ていたからだろう。
「……わしは、」
 その呟きが意味することを汲み取って、山姥切が小さく頷いた。
「あんたは池田屋に行って重傷を負って戻ってきた。覚えているか? それから一週間、ずっと意識が戻らなかった」
「ほうか。……ほりゃあ、心配かけたのお」
 顔の筋肉も暫く使っていなかったせいか、陸奥守が浮かべようとした笑みは強張っている。
「ああ、皆でお前が起きねえからって心配してたんだ。審神者もな。……あんま心配かけんな。大変だったんだぞ、あの後」
「すまんのぉ。ほいじゃあ、あとで皆にも、謝らんといかんねゃ。……わしと出陣した、他のもんはどがぁしゆう?」
 起きたばかりだというのに他の刀の心配をする陸奥守に、眉間にしわを寄せた和泉守は呆れたため息を吐いた。呆れてはいるが、同時に陸奥守らしい心配に安心もして、身体の力が抜ける。
「あいつらはもうピンピンしてらぁ。だからお前は、自分のことだけ考えろ」
「ほうか、よかった」
 会話をしているのは和泉守だが、陸奥守の顔は山姥切の方を向いていたままだ。だが和泉守は、それを咎めることはしない。ほう、と吐かれた息はまだ少し辛そうで、やはり起きたばかりでは身体が固まっていて、話すのも疲れるのだろう。
「身体の調子はどうだ。痛みとかはあるか」
「……痛みはないけんど、ちっくと動きづらいぜよ」
「一週間も寝てたんだ、身体が固まってんだろ」
「ほうじゃ、のうて」
 そこで初めて自身の状態に気づいたのだろう、陸奥守は布団の中から手を出そうとして動きを止める。僅かの間をあけてゆっくりと布団から出した手を殊更慎重に握って、開いて、そうしてじいと見つめる。
「……まんば」
「なんだ」
「審神者は、元気かえ。おんしも」
「? ああ。審神者は落ち込んではいるが、元気だ。俺は、見ての通りだ。……最近は出陣していないから、怪我もない」
 陸奥守の身体の調子を聞いたことへの応えが審神者の確認で、山姥切と和泉守は同時に不思議そうな顔をする。
「ほうか……。なら、審神者に検査を受けさせてくれんがか」
「検査? なんの」
 じっと自身の手のひらを見つめていた陸奥守が、ゆっくりと拳を握って山姥切を見る。
「身体ん中がな、重い。病や怪我で寝込んだときとは違う。じわじわと、侵食されるようじゃ。……わしは、この感覚に覚えがある」
 掠れた声で、けれどはっきりと陸奥守は告げる。
「反転病、じゃ」

1 2 3