青に揺蕩い、赤に消え 下 サンプル

SAMPLE

  審神者に呼び出されたのは、陸奥守の部屋だった。着替えを終えた和泉守が向かった部屋には、既に審神者と山姥切がいた。そして陸奥守と、見知らぬ人間が一人。改まった格好をしているので、おそらくは政府の人間だ。目が合うと軽く会釈をされ、和泉守も小さく頭を下げた。
 そこに座ってと審神者に促されるまま、座椅子に座る陸奥守の横へ腰を下ろす。陸奥守の反対隣には山姥切が座っていて、その前には直前まで陸奥守が寝ていたのだろう布団が敷いてあった。その布団を挟んで反対側に審神者と政府の人間が座り、三振りの刀を見回して頷き合う。
「ごめんな、和泉守、山姥切。いきなり呼んで」
「別にかまわない」
「どうせ手入れで予定もなかったしな」
 予定があったとしても主である審神者の一言で呼び出しは可能なのだから、別に謝るところではない。
 さて、と審神者が一同を見回した。
「集まってもらった理由についてはだいたい判ると思うけど、」
 そこで言葉を切った審神者がつと視線を動かし、陸奥守がその視線を受けて苦笑する。それは、陸奥守の部屋に集合と言われたときから予想がついていたことだった。
「和泉守と陸奥守の症状についてと俺の診断結果の報告。それから」
「本丸の状況と今後のことを話そうと思う」
 審神者の後を次いだのは、審神者の隣にいた人間だ。部屋に僅かばかり緊張が走る。見知らぬ人間に身構えた和泉守と山姥切に気づいた審神者が、慌てて紹介を始める。
「この人は政府の人で、うちの本丸の担当者。姉ちゃんの頃から良くして貰ってるから、身構えなくていいよ。和泉守は姉ちゃんのこと陸奥守から聞いたんだっけ」
「ああ」
「うん、じゃあ説明はいらないか。姉ちゃんが審神者だったときの担当者で俺の担当もそのまま引き継いでくれた、まぁいわゆる後見人みたいな人」
「陸奥守吉行と山姥切国広とは何度か会ったことがあるね。そちらの和泉守兼定は初めてだ。こうみえて政府の役人だよ。よろしく」
 温和な笑みを浮かべる政府の人間は、挨拶をしながらまじまじと和泉守を見つめた。上から下まで興味深げに眺められるのはあまり気分のいいものではなく、視線から逃れるように身じろぐと「ああすまないね」と軽く侘びて身をひく。どうやら察しのいい人間らしい。
「この子から報告は受けてはいるけど、持つべきものを持たずして顕現したという男士は初めてでね。つい」
「あー、この人ちょっとそういう所あるから。気にしないで」
 いつものことなのか山姥切はあまり動じず、陸奥守も笑っている。気にしないでと言われても、初対面の相手にまじまじと見つめられれば気にしないほうが無理だ。今日もだんだらの外套は部屋に置いてきたが、羽織ってくるべきだったかと思う。だがおそらく、外套を羽織ってきてもこの男は同じように見つめてきただろう。
 審神者にも諌められた人間はもう一度謝ってから手元の資料へと視線を落とすと、やはり旧態依然とした紙の書類をめくった。
「さて、本題に入ろうか」
 朗らかではあるものの真剣味を帯びた声に、和泉守は背筋を伸ばす。隣の山姥切も居住まいを正し、真っ直ぐに二人を見ている。
「現在のこの本丸の状況としては、池田屋の時代にしか遡行が出来ない、和泉守兼定の白昼夢と、陸奥守吉行の神気および身体能力の低下。この三つが異常な点としてあげられる。和泉守兼定の症状については現在調査中で、原因もはっきりしない。本来あるべきものが一つ足りない状況だから、それが関連しているかもしれない、というのが政府の見立てだ。こちらは今のところ経過観察かな。引き続き報告をお願いするよ」
 己の白昼夢について何か判るのかと少し期待した和泉守は、結局何も判っていないという報告を受けて落胆する。今のところただ夢を見るだけで白昼夢を見ることそのものに危険があると思ってはいないが、続くとなると気味が悪いのだ。
 それに一昨日戦場で白昼夢を見てしまったせいで、審神者にこの先の出陣禁止を厳命されてしまった。山姥切のお陰で助かったが、それがなければ最悪折れてしまっていたかもしれない。だからその命令に逆らうつもりはなかったが、やはり出陣が出来ないことに不満は溜まる。
 白昼夢を直すことができれば、また戦に出られる。また強くなれる。そう思って聞いていたのに進展がないとあっては、肩を落とすしかできない。
「池田屋への遡行に対しては遡行先を池田屋に固定することで対応し、しばらくはそれで様子を見つつ、こちらで異常を探ってみることになった。最も現在、以前のように何処かの本丸と接続があったりなどといった異常は見られない。異常がないのに異常なのが異常で、正直こちらも手を焼いている」
 困ったものだと嘆きを挟んで、ぺらりと書類をめくっていく。
 遡行の異常に対しては、審神者が政府から報告を受けていたことは知っている。異常がないと言ってたのにと、遡行先が池田屋になる度に嘆いていた。この人間の報告から考えるに、政府はその「異常がないことが異常」であると漸く動き出したようだ。
「次に陸奥守吉行の症状についてだが」
 ぴくりと肩が揺れ、身体に力が入る。全員の視線を受けた人間は一度その場を見回すと、こほん、とわざとらしく咳払いをした。
「自己申告の通り、軽度の反転病の疑いが強い」
 その硬い声に、和泉守は拳を握る。
「えっ、じゃあ俺」
 慌てたのは審神者で、行儀よく座っていた格好を崩し驚愕の表情で政府の人間を見つめる。嘘だろ、と漏れ聞こえた呆然とした呟きで、反転病については理解していることを知る。
「まぁ、落ち着きなさい。話は終わってないから。本当に君たち姉妹はそういうところ似てるね」
 審神者に袖を掴まれた人間は、扱い慣れているかのように嫌そうな顔もせず、そのまま話を続けていく。
「この間君たちの主に受けてもらった検査結果も出たよ。判定は、陰性」
 え、と今度は陸奥守が信じられないように呟いた。
「けんど、反転病は」
「そう、反転病は審神者が患う病気だ。だから刀に反転病の症状が出ているのならば、その主である審神者が反転病になっていないとおかしい。でも、君たちの主は反転病ではないし、真っ先に影響が出るだろう初期刀である山姥切国広には影響がでていない」
「そんなことがあるのか?」
 山姥切が人間の言葉に食いつくように身を乗り出した。それは陸奥守も同じなのだろう、身体を起こしかけて審神者に止められる。
「普通は有り得ないことだね。初めての事例だ。だが実際、陸奥守吉行の症状は反転病にかかった審神者の刀剣に見られる症状と同じだ。ただ、君たちの主とこの本丸に反転病の気配はない。だから、違う病の可能性も否定しきれない」
「違う病ってなんだよ」
 反転病の可能性が高いという診断であるのに、審神者は反転病ではないという。ならば陸奥守を冒している病は一体なんなのか。未知の病ほど怖いものはなく、和泉守の中の不安はその結果を告げる人間へ苛立ちとなって向かう。食って掛かりそうな勢いの和泉守に、けれど政府の人間は臆した様子もなく答える。
「それも判らない。なにしろ君たち刀剣を顕現し戦に用いるようになってから、まだ然程年数も経っていない。刀剣男士及び本丸の運用技術は確立しているとはいえ、実際に運用してみなければ判らない部分も多く、運用の中で見つかる不具合などには未知数が多いんだ。反転病だって、その症状を起こしたものが現れなければ判らなかったことだ。ただ、これまでの調査から判ることが一つだけある」
「なんだよ」
「陸奥守吉行はこのままここにいる限り、悪化の一途を辿るよ」
 
 

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