満ちて、落ちて、色づく サンプル
SAMPLE
鶴丸の再検査は、八つ時前に始まった。
顕現時にこんのすけによって検査がされ、その後も定期的に霊力や身体のチェックを薬研と共にしてきたというが、こんのすけの検査は簡易検査にしかならない。簡易とはいえどもかなり精密で、わざわざ政府の部署に調査を依頼せずとも様々なことが分かるようになっている。だがあくまでも刀剣男士の異常を察知する目的のものであり、今回のような刀剣男士として瑕疵のある個体を判定、調査するためには政府管轄での検査が必要になってくる。
持ち込んだ各種機器を執務室に並べ、初期刀の加州清光に連れられてやってきた鶴丸に取り付けたりして、審神者と初期刀の立ち会いのもと検査を行っていく。
鶴丸は三日月の姿を見たときに僅かに気配を変えたが、抵抗せずに大人しく調査員に従っていた。従っていた、というよりは、されるがままであった。
それとは逆に、審神者は検査器具や調査員の一挙一動にそわそわとしていて落ち着きがなく、隣に座る加州に怒られていた。調査員はそんな審神者に一つ丁寧に内容を伝えながら検査を進めている。
調査員から渡された書類の審神者の情報欄に、担当者からの注釈として政府への不信感を持っている、とあった。政府から派遣された調査員が何をするのか、不安なのだろう。だがそれだけでもないようで、初めて見る調査器具に興味津々という目をしている。その青臭さが微笑ましかった。
検査は滞りなく進み、調査員の手際の良さもあって予定していた時間よりも早く終わることができた。開放されるや否や、鶴丸はさっさとどこかへ行ってしまう。
「さて、では俺も行くとしよう」
「あまり与えすぎるなよ」
「ははは、善処しよう」
「あっ、加州案内してあげて!」
「りょーかい」
三日月も鶴丸の後を追うようにして部屋を出る。去っていく鶴丸がちらりとこちらを振り向いたが、すぐに顔をそらして行ってしまった。
「嫌われてしまったか」
「もともと誰にでもあんな感じだよ、鶴丸は」
二日間の三日月の案内を任された加州が執務室を出ると、隣の間に控えていた近侍を呼ぶ。出てきた前田藤四郎が加州の変わりに入室し、部屋は閉じられた。
これから調査員は審神者から事情聴取に入る。調査資料や政府の持つ情報との齟齬が無いかの確認や、詳しい話を聞くのだ。その間、三日月は本丸の調査を行う。審神者には自由に本丸を歩く許可を得ている。
「行きたいところはある?」
「そうだなぁ、本丸の中を一通り見せてくれないだろうか。あと、ここの刀剣たちにも話を聞いてみたい」
「ん、分かった。とは言っても今ここにいる刀の数少ないけどいーい?」
「いいぞ。出陣しているものにはまた後で聞くとしよう」
「じゃあここからぐるっと回って戻ってくる感じで案内するね」
「よろしく頼む。これは駄賃代わりに受け取ってくれ」
「駄賃って……なにこれ飴じゃん。主に言われたからってここまで爺臭くならなくてもいいよ。っていうかさっきもお菓子貰ったし」
「なに、俺が与えるのが好きなだけだ。遠慮せず受け取ってくれ。この飴は俺が一番好きなやつでなぁ、政府所属の刀剣の中でも流行っている飴なのだ。先程の菓子は行きつけの店のものでな、どちらも美味いぞ」
「……そういうことならありがたく貰っとくけど」
手のひらに押し付けた飴をしまい込み、こほん、と加州が一つ咳払いをして空気を切り替えた。
じゃあまずは、と歩き始めた加州に付いて本丸を回る。
部隊が出払った本丸は静かだ。時折遠くで鳴く鳥の声が聞こえてくるくらいには、しんとしている。
「静かなだなぁ」
「みんなが帰ってくると少し煩いけどね。顕現できる刀剣が全部揃ったらかなり煩そう」
「ああ、なかなかに賑やかだぞ。こんなに静かで穏やかな本丸に来たのは久しぶりだ」
この本丸は稼働してまだ半年も経っておらず、五振り編成で三部隊を組むのがやっとで、その全部隊が出陣と遠征に出かけた今、残っている刀は内番をしているものと近侍の数振りしかいない。己たちが来るということで今日は内番以外の任務はしないつもりだったようだが、いつもと同じようにしていてほしいという調査員の要望もあって、午後からは皆、通常通りに戦場や遠征に出かけていった。
静かな本丸を加州に案内されながら歩く。本丸に満ちた審神者の霊力は、初期本丸特有の少しの揺らぎが感じられるが、それ以外には特におかしい気配はない。霊力の流れも神気の満ち方も異常はなく、穢も自然に浄化される程度の量だ。結界の綻びも見当たらなかった。
本丸に問題がないとするなら、後はどこかに呪具があるか顕現した審神者自身の問題か。呪具は流石に近くにいかないと分からないため、案内を受けつつ加州会話をしながらも注意して辺りを探る。
「加州は鶴丸の顕現に立ち会ったのだったな」
「そうだよ、俺が近侍のときだったからね。顕現したと思ったら口上はあげないし事前情報で聞いていた性格と違うし、めちゃくちゃびっくりした。刀剣男士って名乗り口上はみんな決まってるじゃん。それを言わないから一瞬鶴丸じゃないのを顕現したのかと思ったんだよね。名乗ってくれたから主との契約は出来たみたいだけど……口上を言わない刀剣男士っているの?」
「口上が少しおかしいということは聞いたことがあるが、口上がなかったというのは聞いたことはないな。もしどこかの本丸で口上がおかしかったり名乗りを上げなかった刀がいたとしても、無事に顕現できていれば相談や報告はあがらぬしなぁ」
「あー、それもそっか。ま、うちも報告上げてなかったしね」
「担当官が怒っていたらしいぞ。調査が終わって結果が出たら厳重注意すると息巻いていたと聞いた」
「もうすでに怒られた後なんだよね。追加でくるのかぁ……あの担当さん、怒ったら怖いんだよな。だから余計に主が政府不信になっちゃうし」
「審神者殿を思ってのことだ。許してやってくれ」
「それは分かってるけどさ」
加州はさくさくと本丸を案内して進む。それに遅れないようについて行きながら、更に尋ねる。
「鶴丸が顕現した前後で、本丸になにかおかしなことはなかったか? いつもと違うことがあったら、小さなことでも良いから教えてくれぬか」
「前後? うーん……あの頃は特に何もなかったと思う。まぁ鍛刀後は主が落ち着きなかったけど、鶴丸の様子を見て慌ててただけだし。その頃もうちょっと戦力が欲しいねって言ってて太刀の顕現に挑戦してたんだけど、それくらいかな」
「そのときに変わったことはなかったか?」
「何も問題なかったよ。その時に顕現した燭台切と山伏は普通に元気だし。あ、でも太刀を呼びたいって話になってから主が顕現可能な太刀のことを調べ始めてさ。一応軽くは知ってたみたいだけど、もうちょっと詳しく知りたいって資料室の端末にかじりついて調べてたな。短刀や脇差や打刀ってほら、兄弟や前の主についてめちゃくちゃ話すでしょ? それ聞いて、ちょっと思うところがあったみたい。俺たちも他の刀については詳しくないから一緒に勉強したなー」
「勤勉なのだな」
「ううん、そうでもない。どっちかっていうと、勉強嫌いだよ主は。あ、ここは資料室。顕現した刀剣についての政府からの資料だったり、歴史書が置いてあるところ。歴史書って言っても、主のために入門編とか優しいやつばっかりだけどね。あと、使える刀は限られるけど、共用の端末が置いてある」
障子戸ではなく板戸だった部屋の壁際には数個の本棚が置いてあり、その中にばらばらと本が置かれている。空きも目立つ本棚だが、主があまり勉強が得意ではないのと端末のほうが使いやすいため本はさほど増えないのだという。
「さすが二二〇〇年の人だよね。政府もちゃんと端末で歴史を調べられるようにしてくれてるし。歴史上の刀だけじゃなくて刀剣男士についても資料や扱いマニュアルがあるだってね」
「扱いマニュアルは有志によるものだな。刀剣男士の資料も政府と有志のものとある」
「そっか、先輩たちのありがたい資料を見せてもらえてるわけね」
「まぁその分、審神者たちの共通認識や主観的な要素が入りやすいがなぁ。俺もよく徘徊じじいと呼ばれるぞ」
「その節は主がほんっとごめん。主ちょっと影響されやすいというか思い込みが激しいというか」
三日月手には冗談のつもりで言ったのだが、加州に真面目に謝られてしまう。気にしてはおらぬといつものように笑って伝えれば、もう一度謝ったあと顔を上げてくれた。
執務室を出て大広間、広間、軍議室、資料室を見て、刀剣や審神者がよく集まって話したり遊んでいたりするという談話室を訪れる。談話室には大きな水槽が置かれており、目に鮮やかな色をした魚がその中を優雅に泳いでいた。
「ほぉ、金魚か」
「熱帯魚だよ。主がもともと現世で飼ってたみたいでさ、連れてきたんだよね。こいつらだけじゃなくて中庭に鯉もいるよ」
「鯉か。新人審神者の本丸には鯉はいないと聞くが」
新人に与えられる本丸には橋のかかった池があるが、中に鯉や金魚等の生き物はいない。鯉を入れたければ政府の本丸生活課に申請する必要があるからか、そのまま生き物がいない池として整備していく本丸も多かった。特に新人審神者は業務に慣れるまで他の生き物の世話をする余裕もないため、わざわざ申請して飼おうとする者はほとんどいない。
「そういうの好きなんだって。自分で世話するから!って頼み込まれて、就任一ヶ月記念に導入したんだ」
鶴丸のことも、同じように審神者が懇願したと調査資料には書いてあった。審神者は、手にした生き物を放っておけない性格なのだろう。鶴丸と魚を同等に見ていると知ったら、本来の鶴丸なら怒りそうなものだ。
鮮やかな尾びれをひらめかせ水の中を器用に泳ぐ魚を暫し見てから、刀剣の居住区へと向かう。
刀剣の居住区は本丸の中央部から少し離れ、渡り廊下で繋がっている。本来は顕現順に部屋を与えられるらしいが、鶴丸はなにかあったらいけないということで、本丸中央部の奥にある審神者の私室の近くに部屋があるらしい。審神者の側にいれば霊力の巡りも良くなるかと期待していたらしいが、変化はなかった、と加州が残念そうに漏らす。
「加州から見て、鶴丸はどうだ?」
「大切な仲間だよ。ちょっと他とは変わってるけど。最初はちょっとびっくりしたし扱いに困ったけど、世話をしてれば情も湧くしね」
「話したことは?」
「会話は少ないけど、一方的に話すだけならあるよ。三日月も聞いてると思うけど、鶴丸あんまりしゃべらないんだよね。意思表示をしないというか、なんの反応もない。こっちの話も聞いてるのかどうか分かんないかな。今日の訪問も事前に伝えておいたけど俺と主が連れ出しに行ったし。自分から行動することも稀」
「出陣について話してもか?」
「そー、反応なし。演練に行くと他の本丸の鶴丸とやり合うと結構鶴丸って戦うこと好きそうに見えるけど、うちのは出陣なくても不満も言わないし、ずっとぼーっとしてるだけ」
「退屈で死ぬ、とかあいつは言いそうだがなぁ」
「退屈してるのかどうかも分からないんだよな」
心臓が動いていない状態で戦に出すとなにが起こるか分からないから出陣させていない、ということは調査資料や午前中の審神者との打ち合わせの中でも聞いていた。本来の鶴丸であれば、自身だけ出陣がないと知れば少しの文句もありそうだが、それもないと言う。好戦的という程ではないが、鶴丸も出陣には積極的な方だった。
戦場を嬉々として駆ける鶴丸国永の姿を思い出し、この鶴丸には戦意がないのかもしれぬ、と思う。正しく鶴丸国永として顕現していながらも、やはり何かがずれている。
話をしながら歩いていると、裏庭に差し掛かる。
「こっちは裏庭ね。刀の数がまだ少ないから、裏庭に面する部屋は今は物置にしてる。新しく来た刀用の生活道具一式が置いてある感じ」
裏庭は木々が鬱蒼と生い茂っていたが、空気は清浄だった。刀剣数が少ないためか、執務室から見える庭と違い手入れは行き届いていないようで、あちこちにある低木の隙間から草が伸びているのが見える。その低木と草が、風に揺れていた。
葉擦れの音を聞きながら、加州が浮かない顔で三日月に問う。
「ねぇ、三日月。……検査結果が出たら、鶴丸はどうなるの?」
「気になるか?」
「そりゃあね。……主が言うことをすべて真に受けてるわけじゃないんだけど、主が『異常のある刀剣は引き取られて実験台にされる』とか『抵抗したら本丸が解体される』とか言ってるからさ。……俺は別に、仲間を売りたいわけじゃないし」
「ははは、審神者によく言われるなぁ」
加州の主のように、政府に良い感情を持っていなかったり不信感を抱く審神者は多い。審神者たちの中では、政府が実際の現場を見ずに様々な施策をしていると専らの評判だ。そんな審神者の本丸に行くと、大体いい顔をされない。
「政府もそこまで悪ではないさ。鶴丸の処遇については、詳しいことは言えぬが結果次第だなぁ。政府より様々な提案があるだろうが、選ぶのはあくまでおぬしの主殿だ」
「そっか。まぁそうだよね」
「だが、きちんと報告をしたのは間違ってはいないぞ」
様々な提案、には引き渡しや刀解を勧める提案もあるだろう。加州もその可能性は考えていたのか、変な話をしてごめんねと話を打ち切って、本丸の案内を再開する。
加州の主の言い分が、必ずしも間違っているわけではない。実験台と言うのは言い方が悪いが、今後の解明のために検査や調査を行うことはままある。本丸が解体される訳では無いが、要観察にはなるだろう。鶴丸の場合は、心臓が動いていない個体という事例は初めてのため、瑕疵個体認定がつけば個体調査のために政府への引き渡しが提案に入るのは間違いない。
だから審神者からの反感を買うのだと思いながら、三日月は進む加州の背を追った。