満ちて、落ちて、色づく サンプル

SAMPLE

本丸調査二日目。
今日は一日鶴丸の様子を観察する予定だったが、朝から肝心の鶴丸の姿が見当たらなかった。燭台切に教えてもらった鶴丸が良くいる場所へ赴いても、どこにも白は見つからない。近くに居た刀剣達に聞くと、先程まではそこに居たけれど、という応えが返ってきて、三日月は己が避けられていることを認めることにした。
「なにをやらかしたんだ」
「ははは」
昨日の朝の一件と八つ時の一件で、完全に警戒されてしまったらしい。調査員から呆れたように睨まれた。
鶴丸が居なくては仕事は出来ず、今日の監視役であるらしい燭台切と二振り、池が見える縁側でのんびりと茶を飲んでいる。三日月が近づけば鶴丸が逃げるのなら、一旦腰を落ち着けて鶴丸が眠るのを待とう、ということになった。
「日中によく眠るということは、鶴丸は夜は寝ておらぬのか?」
「夜は夜でちゃんと寝てるよ。時間感覚があるかは怪しいけど」
庭は、審神者が現世と気候を合わせており、今は冬から春に変わろうとしているところだった。庭はまだ色味が少ないが、暖かな日差しが気持ちいい。
「でも、鶴さんが嫌って逃げるなんて初めてのことじゃないかな。好き嫌い含めて、何にも興味とかなさそうだったのに」
鶴丸国永が何にも興味や反応を示さないことは、調査資料にも書いてあったことだ。三日月に対しては最初から警戒させてしまっていたためあまり実感はないが、行動の端々からそれは伝わってきた。
「ふむ……俺が暫くここで暮せば、鶴丸が変わる可能性があるな」
「うーん。変わるのは嬉しいけど、でも鶴さんに迷惑をかけるようなことはしてほしくないかな」
「鶴丸が嫌うようなことが分からぬからなぁ」
分かって言ってるでしょう、と苦笑する燭台切に笑みを返す。その笑みを受けた燭台切が、ふ、と眉を寄せた。
「……三日月さんは政府所属だよね。じゃあ、鶴さんみたいな刀を保護する場所とか、知らないかな」
「保護施設か」
「昨日加州くんに、鶴さんの検査結果が出たら政府からいくつか提案があるらしいって聞いたんだ。この本丸で鶴さんが過ごす許可が出るならそれでいいんだけど、そうじゃない場合もあるだろう? 僕たちは鶴さんを不幸にしたいわけじゃない。だったら、刀の保護施設があるならそこに預ける、という選択肢もありじゃないかなって」
「なるほど、それは良い考えだと思うぞ。たしかに政府には、そのような施設も複数ある。施設に入れるためには検査が必要だが、それはもうやっているしなぁ。いくつかぱんふれっとなる資料があったはずだ。調査員殿に取り寄せてもらうように手配しよう」
「うん、ありがとう」
そんな話をしていると、池の隅にふらりと白いものが現れた。
「おや」
「鶴さんだね」
鶴丸は三日月たちの視線に気づかないのか、ふらふらと池に近寄っていく。その後ろには太鼓鐘の姿もあった。
眠ってはいなかったが、腰を落ち着ける作戦が成功したな、と、茶の残りを急いで飲み干す。またどこかへ行かれてしまってはたまらない。
「鶴さん、貞ちゃん」
「みっちゃん。三日月さんも」
呼びかけに振り向いた太鼓鐘は、どこか困ったような顔をしていた。それからちらりと鶴丸を見て、眉間にしわを寄せる。鶴丸は池の端に立って水面を覗き込んだまま、微動だにしない。
「何かあったのか?」
「それが、分かんないんだよな。三日月さんから逃げたあと離れでぼーっとしてたんだけど、突然何も言わずに池に一直線で来たんだよ。鶴さんに聞いても何も答えないしさぁ、まぁいつものことだけど」
鶴丸は完全にこちらを意識外に追いやっているようで、そろりと隣に近寄っても逃げる素振りもない。同じようにして池を覗き込むと、何匹かの鯉が泳いでいるのが見えた。だが、そのうちの一匹が底に横たわったまま動かない。
「……ふむ?」
「あっ」
なぜ底に横たわっているのか三日月には分からないが、太鼓鐘貞宗は分かったようで審神者を呼びに走っていった。燭台切もどこか悲しそうな顔をしている。
暫くして太鼓鐘に呼ばれた審神者が駆け寄ってきて、池の淵に足をついて覗き込んだ。
「……死んじゃった」
酷く悲しそうな声でぽつりと漏らされた言葉に、死んでいたから動かないのかと納得する。震える審神者を宥めていた燭台切が、太鼓鐘がどこからか持ってきた網を受け取って、沈んでいた鯉を掬い上げた。
「ごめんなぁ」
もう動かなくなった鯉に向かって今にも泣き出しそうな声で言う審神者を、鶴丸がじぃと見つめている。否、審神者を見つめているのではなく、死んだ鯉を無表情で見つめていた。
「鶴丸」
ぴくりと肩が揺れる。無表情かと思っていたが、こちらを一瞥した顔は強張っているように見えた。けれど三日月がそれを問う前にすぐに顔を逸らし、池の端から離れていく。
「貞ちゃん、鶴さんと三日月さんのことお願いしていいかな。僕は主についていくから」
「了解、任せとけって」
審神者を促しながら本丸へと戻っていく燭台切と別れ、太鼓鐘とともに鶴丸の後を追う。今話しかけるとまた逃げられるという太鼓鐘の判断で、付かず離れずの距離で付いていく。
鶴丸の後を追い辿り着いたのは、裏庭の祠だった。もう三日月から逃げることをやめたらしい鶴丸は、祠へもたれかかるとすぐに眠りにつく。逃げることをやめたというよりは眠りに逃げたという方が正しいかも知れないと、結局会話の機会を失った三日月は、昨日と同じように鶴丸が起きるまで待つことにした。太鼓鐘がどこからか簡易的な椅子を持ってきてくれ、それに腰掛ける。
「しっかし、なんで鶴さんは池に行ったんだろ。離れから池の様子なんて分かるわけもないし。そもそも死って気配でわかるものなのか?」
「……案外、呼ばれたのかもしれんなぁ」
「呼ばれた? 誰に」
「さて、それは鶴丸に聞かねば分からぬが」
何にも興味を持つことがない鶴丸が、何かが気になって池に来たとは考えにくい。それに三日月から逃げていたというのに近くまで来るというのも違和感がある。ならば、何かを感じてやってきたと考える方が自然なような気がした。
なにか。それはまだ確信はないが、そのような特異な能力を持つ刀剣男士を知っている三日月は、十分あり得る話だと知っている。
そして思い出すのは、死んだ鯉を見ていた鶴丸の表情だ。悲しんでいるようにも、怒っているようにも、何かに耐えているようにも見えた。そうして、それに動揺しているような。
鶴丸が池に来た理由は分からない。本刃に聞いても、分からないかもしれない。けれど、鶴丸が死に際の鯉を見つけたことに、鶴丸の心臓が止まっていることの端緒を見た気がした。
「死、か……」
異常もない普通の本丸の中にあって、それは酷く不釣り合いな言葉である。だが、この本丸に来てよく聞く言葉でもある。この本丸にとってはなにか意味があるのかもしれない、と思う。
「そいや三日月さん、鶴さんになにかしたのか? ずいぶん嫌われてるみたいだったけど」
今日は太鼓鐘が鶴丸の付き添いだった。三日月から逃げる鶴丸をずっと見てきて気になったのだろう、顔を覗き込むようにして尋ねてくる。
「鶴さんが誰かを嫌うところ、初めて見たぜ」
「ははは。嫌われるようなことをしたつもりはなかったんだがなぁ」
ただ触れて、読み取ろうとしただけだ。勝手に心を覗かれるのは確かに嫌がるものも多いだろうが、それでも三日月の能力をすれば気づかれない筈だった。だのに鶴丸は己が内に入り込む三日月の存在に気づき、三日月を拒否した。よほど、触れてほしくないのだろう。
「自分にとっては普通のことでも、他のやつには嫌なことっていうのは結構あるからな。押し売りしちゃ駄目だぜ。三日月さん、そういうところ疏そうだよな」
「おや、これは手厳しいな」
以前にも、同じようなことを言われた。無意識に読み取ってしまった欲求を叶えるためのものを与えて、困惑した相手から言われた言葉だ。湧き上がってきた懐かしさに目を細める。
「まぁそう気を落とすなよ! 嫌われてるってことは興味あるってことだしな」
「前向きだなぁ太鼓鐘は」
「おうよ。それが取り柄でもあるしな!」
「元気なのはなによりだ。ほれ、菓子をやろう」
取り出した菓子を太鼓鐘に渡すと、そういうところだぜ、と言いながらも受け取ってくれた。
太鼓鐘と他愛もない話をしながらどれくらい経っただろうか。鶴丸が突然身を起こす。
「鶴さん、起きたか?」
鶴丸は応えず、じっとどこかを見つめている。その様子は、昨日ここで見た部隊帰城時の様子と同じだ。
「鶴丸?」
目を合わせると、視線が合った。見開かれた目の奥にある怯えに、逃してはいけないと思ってとっさに手を伸ばし腕を取ると、逃げようとしていた鶴丸の態勢が崩れ三日月の胸に倒れ込む。身体をしかと受け止めながら革手袋を外した素手に伝わる冷たさに眉をひそめ、それから小さな震えに気づいた。
「やめろ……っ!」
鶴丸が叫ぶと同時、カーン、と帰城の鐘が鳴る。続けて二回目、三回目。部隊の誰かが中傷なようだ。四回目は、と鐘へ少しだけ意識を向けていると、その隙きに鶴丸が三日月の腕から逃れようともがく。
「はっ……!」
「鶴丸……!」
無闇矢鱈に暴れる中、鶴丸の手が空に伸ばされた。逃れるためか、それとも救いを求めてか。三日月にはどちらにも思えた。思わずその手を強く握りしめた瞬間、流れてこんでくる感情があった。
「……おぬしは、死にたいのか、生きたいのか、どちらだ」
それは昨日、初対面のときにもした問いだ。ぴたりと鶴丸の動きが止まる。
「……っ」
流れ込んできた二つの感情。死への恐怖と死への安堵。生への恐怖と生への渇望。
矛盾したその感情が、三日月が感じ取った鶴丸国永という存在のずれの正体だ、と確信した。死にながら生きている、生きながらにして死んでいる。それを可能にしてしまった感情。もちろん感情だけではこのような事態は起こらないので、他になにか強い力が働いているのだろうが。
俯いたままだが大人しくなった鶴丸の様子を見るに、己の言葉が届いているのだろう。この機会を逃すものかと、己でもよくわからない感情に突き動かされるように、三日月は鶴丸に声をかける。
「おぬしが亜種個体か瑕疵個体かを調べるために、俺はこの本丸に来た。おぬしはおそらく瑕疵個体と認定される。瑕疵個体となれば、政府は刀解も勧めてくる。だが希望すればここでこのままで過ごしたり、保護施設で受け入れもできる。……さて、おぬしはどちらを選ぶ。必ずしも希望に沿うことはできぬが、善処はしよう。求められるなら、それを与えるのが俺だからな」
鶴丸の肩が震え、そろりと頭が上がる。鶴丸が何を言おうとも真の欲あるいは望みを汲み取らねばならぬと、鶴丸へ流し込む意識を集中させる。
「刀解でもこのままでも、どちらでもいい」
けれど、鶴丸の望みは何も読み取れなかった。ただ、何かを欲していることだけは、伝わってきた。

1 2 3 4