発行物紹介

introduction

いずむつ

青に揺蕩い、赤に消え 上

とある本丸の、だんだらを欠いて顕現した和泉守と陸奥守の記録。
和泉守が陸奥守を意識していく話。
続き物の、上巻。

※オリジナル本丸捏造設定多々あり。
※オリジナル男審神者がかなりしゃべります。名前はありません。1P目・2P目くらいの絡みです。
※ゲーム描写程度の流血あり
※土佐弁はコンバータに頼っています。

イベント頒布価格1,000円

A5 / 98P

2015年11月15日発行

現在頒布中

青に揺蕩い、赤に消え 上 サンプル

SAMPLE

 和泉守兼定の人としての姿形は、長い黒髪に赤い結い紐、端正な顔に水の様な瞳、拵えを模した黄金の鳳凰が染め抜かれた臙脂の着物に薄灰の袴、そして特徴的な新選組の象徴でもある浅葱色のだんだら模様の外套を羽織っているのが、一般的だ。
 遡行軍と呼ばれる歴史修正主義者たちの歴史への介入が始まり、時の政府は審神者なるものを集め、歴史に名を残す刀剣の付喪神を人の姿へと顕現させた刀剣男士たちをその対抗手段とした。審神者としての素質のあるものは本丸と呼ばれる拠点をひとつ与えられ、その場所で刀剣男子たちを顕現させ過去へと遡り歴史修正を行おうとする遡行軍を阻止していく。
 顕現する刀剣男士は各々の出自や来歴、主や刀自体が残した逸話を元に付喪神として構成され、本丸で鍛刀された刀を依代とし、それを振るう人の姿を与えられる。多くいる各審神者や本丸の状況により性格は若干違うが、それでも同じ情報を基にしてその一部を呼び出している以上、大きな個体差はない。顕現する際に逸話や拵え、名の由来であるものなど、様々な情報を混ぜあわせて人の形へと昇華させ具現化している。故に器である人の姿は皆同じである筈だった。
 だが、この本丸に顕現した和泉守兼定は、その姿の一部を欠いていた。
 
 
 
 
 
 
「兼さん、羽織はどうしたの?」
 先に顕現していた前の主を同じくする堀川国広が、挨拶の後の二言目にそう問いかけてくるのに、和泉守は堀川の問いに眉をひそめてみせた。
 和泉守が審神者に呼ばれ、人の姿を模して本丸に顕現したのはつい今しがたのことである。視界の隅ではらはらと舞い落ちて消えていくのは、薄い桃色をした神気の花びらだ。その花びらは刀剣男士が顕現をした時に咲き誇る桜のもので、顕現をする際に一瞬だけ神気が膨らみ溢れ桜の形を取る。桜の花びらはやがて本丸の神気の一部となり消えてしまうが、それが未だ舞い散っていることが顕現したばかりであるということを示していた。部屋にも神気が満ち、鍛刀の熱が未だ篭っている。
 顕現したと同時に始めた自己紹介が全て終わる前に、慌ただしく音を立てながら戸の外へと出て行った白い布を被ったものをぽかんと見送った和泉守へ、堀川が嬉しそうに名乗った。またよろしくね、と短い挨拶の後の突然の問いで、問いの意味も判らず和泉守は聞き返す。
「羽織ってなんのことだ、国広」
 するりと出てきた相手を指す呼び名に違和感はなく、初めて相手の名を呼ぶというのに昔からそう呼んでいたかのように口に馴染んでいた。国広、と呼ばれた堀川は小首を傾げながら視線を和泉守の胸へと下ろす。
「新選組のだんだら模様の羽織だよ。」
 言われてぱっと脳裏に浮かんだのは、己の主であった土方歳三が生前に羽織っていた新選組の羽織だ。その羽織と堀川の言う羽織がどう関係するのか判らずに、和泉守は己の姿を見下ろした。そこには浅葱色など少しも見えず、金の装飾が施された臙脂色の着物しかなく、何かを羽織っているようには見えなかった。
「演練で会った他の本丸の兼さんは皆、新選組のだんだらの羽織……というよりも、外套かな。それを羽織ってたんだけど……」
 和泉守が何を不思議に思っていたのか察した堀川がそう補足し、言われて改めて己の姿を見てみるがやはり見える範囲には浅葱色は見当たらず、落ちてしまったのかと地面を見ても、どこにも堀川の言うだんだらの外套はなかった。
「もしかして忘れてきたの?」
「知らねえよ」
 そんなもの聞かれても困ると、和泉守は僅かばかり苛立ちを覚えながら応えた。己の意識は今まさに形作られたところで、それ以前のことなど何も覚えてはいない。そもそもが今しがた顕現したばかりで己の姿など知らず、また、他の和泉守兼定の姿を見たこともないので、どの姿が正しいのか和泉守には判るわけもない。確かに何かが足りないような気もするが、この姿を持って呼び出すのは審神者であり、己にどうこうできるものでもない。
「じゃあ、顕現するときに情報が欠けてたのかな」
 外套と言うくらいであるし、堀川が何よりも先に問いかけてきたこともあって、それはかなり目立つもののはずだ。他の本丸の和泉守兼定が皆一様に羽織っているのならばそれは顕現する己の情報の中に含まれているはずであり、しかしそれがこの場にないとなると外套そのものが顕現していないことになる。
 堀川は不思議そうな顔をしながら隣に立つ少年へと視線を向けた。
「主さん、こんなことってあるんですか?」
「いや、聞いたことはないけど……。はっ、もしかして俺の力不足……とか? 呼び出すのも随分時間かかっちゃったし」
 主と呼ばれた堀川の隣に立っていた少年が、わたわたと慌て始める。堀川と同じくらいの身長のこの男が己を呼び出した審神者であり主であることは判ってはいたが、堀川の問いなどですっかりとその存在を忘れていた。堀川と和泉守を交互に見て、大げさなほどの身振り手振りでどうしようと訴える審神者に、堀川は苦笑しつつ大丈夫ですよと優しく言葉をかける。
「もし主さんの力が足りなかったのなら、兼さんは顕現してないですよ」
「でもさ! 元は皆同じだよ! ? 同じ情報を元にして呼び出して顕現させてるはずなのに、あるべきものを持ってないとかそんなの、俺の力が足りないとしか」
「足りなかったら、それこそ三日月さんは顕現してないでしょう?」
「でもさぁ、」
 尚も言い募る審神者を、もう、と本気で困ったような顔をして堀川が宥める。こんな審神者で大丈夫なのかと一抹の不安が過るが、少なくとも己を顕現させることができるのなら力はあるのだろう。堀川の話から察するに、天下五剣で顕現させるのが難しいと言われている三日月宗近がこの本丸にはいるようなので、それを考えれば多少子供っぽい性格であったとしても審神者としての力はあるようだ。
 和泉守を置いて二人で話し始めた堀川と審神者に、とりあえず己はどうすればいいのか説明をしてくれと声をかけようとした時、どたとたと走ってくるような音が遠くから聞こえてきた。何だと三人が顔を見合わせ、戸へと視線を向ける。
 その音が戸の前に来たと同時、戸が勢い良く開かれた。ばん!と木枠と戸のぶつかる激しい音に、思わず肩が跳ねて心臓が鳴る。
「おお! ついに来たがか!」
 戸の開いた音に負けない程の大音量で聞こえてきた声に、和泉守は勢い良くそちらを振り向いた。そこにいたのは頭に大きな手拭いを巻いた、田舎臭さを残した男だった。
 同じ刀剣男士なのだろうその男は深い紺色の内番姿で、衣服の所々についた土の汚れが畑から急いできたのだろうということを告げていた。
 男は振り向いた和泉守を見て目を見開き、二度ほど瞬きをしてから、おんし、と小さく口を開く。けれど開いた口が何かを呟く前に、審神者の声がそれを遮ってしまう。
「陸奥守、戸は優しく開けろって言ってるだろ!」
「ははは、すまんちや! ついに和泉守兼定が来たっちゅうんで、思わず」
 豪快に笑う陸奥守と呼ばれた男は審神者に軽く謝って、戸の内側へと入ってくる。その後ろから「戻った」と言いながら入ってきたのは薄汚れた布を頭から被った男で、先程出て行ったものだろう。
「もしかして兄弟、陸奥守さんを呼びに行ったの?」
 いきなり出て行くから何事かと思ったよと笑いながら迎える堀川に、布を被った男は小さく頷きながら審神者の隣へと並ぶ。
「でもなんで陸奥守さん?」
「鍛刀で呼べる新選組の刀ん中じゃあ最後やったき、ちっくと興味があっての。来たら呼んでくれんかと頼んじょったんじゃ」
 堀川の問いかけに男が応えるよりも先に陸奥守がそう応える。のう?と同意を促すように視線を投げられた男も、こくりと小さく頷いた。
「興味って、」
「ん? おお、新選組やき気になったわけじゃあないぜよ。個人的な興味、っちゅーやつじゃ。なんちゃーない」
 安心しろとでも言うような柔らかさをもって陸奥守が告げた大丈夫だという言葉が、不思議な響きを持って身の裡に落ちていく。聞き慣れない言葉だからだろうか、胸裡が僅かにざわついた。それを不思議に思っていると、とん、と強く鋭い音が部屋に響き、びくりと肩を震わせる。
「優しくって、言っただろ」
「おお、すまんき」
 優しく、と注意されたにもかかわらず音を立てて戸を閉めた陸奥守は、審神者の再びの注意を悪びれた様子もなく笑って流し、一連の出来事に呆けたまま立っている和泉守に近づいてくると、挨拶もそこそこにまじまじとその姿を眺める。遠慮無く見つめてくる陸奥守の瞳が、和泉守の瞳を捉えた。琥珀が溶けたような綺羅綺羅とした瞳が、光の加減によってかゆらりと揺れる。
 瞬間、じわりと景色が滲んだ。
「……おん?」
「……兼さん?」
 陸奥守と堀川の、驚いたような顔が見えた。
「……あ?」
 つ、と生暖かいものが頬を伝う。それがなにか確認しようとして手を伸ばせば、頬を濡らす水に指先が触れた。
「えっ、ちょっと何泣かせてるんだよ、陸奥守!」
「えっ! わ、わしか! ?」
 慌てたのは審神者で、そんな審神者に怒られて陸奥守が驚く。あたりまえだろう、陸奥守は何もしていないのだ。ただ、和泉守が突然泣いてしまっただけで。
「……ちっくと騒がしかったかのぉ」
「顕現したばかりで未だ慣れてないんだから、あれだけ大きな音出せば誰でも驚くだろ!」
「おんしも十分大きいぜよ」
 審神者と陸奥守の言い合いを聞きながら、和泉守は流れてきた涙を拭く。僅か一筋の涙は、和泉守にも何故出てきたのか理解できない。
「兼さん、どうしたの?」
「……いや、……ちょっと驚いただけだ」
 多分、という言葉は飲み込んだ。
 顕現したばかりであるから、僅かなことにも身体がついていかないのかもしれない。だから、煩いと怒鳴れば済むところを思わず動揺してしまったのだ。反応が遅れたのも、顕現したばかりで身体が反射的なものに慣れていないからだろう。
 堀川が差し出した手ぬぐいで涙を拭った指の平を拭いていると、じっと陸奥守が見つめてきた。見透かされそうな視線に、僅かばかり動揺する。
「……なんだよ」
 初対面で格好悪いところを見られてしまった気恥ずかしさからぶっきら棒な口調になるが、陸奥守はさしてそれを気にした様子もなく、まじまじと和泉守の顔を眺めてからぽつりと呟いた。
「……おんしゃあ、泣き虫じゃのう」
「なっ、誰が泣き虫だ! お前が煩せえから驚いたんだよ!」
 泣き虫、とまるで決めつけたように言われて、和泉守はかっとなって言い返す。格好悪いところを見られた挙句、決めつけられてはたまらない。
「ほらやっぱり陸奥守のせいじゃん!」
 味方を得たとばかりに審神者が陸奥守を責めるのを、判った判ったと陸奥守が流すようにして宥めすかす。
 陸奥守はむくれた審神者をからかうように笑ってから、和泉守に向き直った。
「驚かすつもりはなかったがやけんど、すまんかったのぉ。三日月も鶴丸も来たっちゅうのにおんしが全然来んかったき、それがついに来たっちゅうもんで、ちっくと興奮しちょったぜよ」
「あ、……ああ、いや」
 素直に謝ってくる陸奥守に気の抜けたような返事しか返すことができず、和泉守は内心で頭を抱えた。
「ほんなら、改めて。わしは陸奥守吉行じゃ。坂本龍馬の佩刀、と言えば判るかえ」
 試すように陸奥守が見つめてくる。その目を見つめ返しながら、和泉守は己の中に詰め込まれた記憶と情報からその名を引きずり出す。
 坂本龍馬。それは確か、前の主が属していた新選組の敵である維新側の人間ではなかったか。直接的な敵対関係にあったわけではないが、それはすなわち、己の敵ではないのだろうか。けれどそう思ったのは一瞬で、すぐにそれはないなと伺うように見てくる陸奥守の笑みに己の考えを打ち消した。主は主、己は己だ。だが一瞬であろうとも顔には出ていたらしく、それを目ざとく見つけた堀川が身を乗り出してくる。
「あっ、兼さん、陸奥守さんは坂本竜馬の刀だけど、今は目的を同じくする同志だからね。喧嘩は駄目だよ」
「わぁってるよ」
 局中法度、私の闘争を許さずだよ、と堀川に念を押されるが、それがなくとも和泉守には陸奥守と喧嘩をしようと言う気にはならなかった。この本丸に呼び出された目的は頭の中に知識として刻まれていて、その目的にために集まったのなら同志であることくらい、和泉守は判っている。それに出会って少ししか経っていないのだ、喧嘩をしろと言われて喧嘩をするほうが無理だ。
「俺は新選組副長、土方歳三の刀で、和泉守兼定だ」
「おん、よお知っちゅうよ。堀川や加州らぁから聞いちょったきに。……皆、ひさにおんしを待っちょったがよ」
 これからよろしく頼むぜよ、と言いながら陸奥守が差し出した手を素直に握ると、じゃり、とした感覚が伝わってきた。陸奥守の様子を見るに、直前まで畑仕事をしていたのだろうことは容易に推測できて、だとすればつまり、手に伝わるじゃりじゃりとしたものは十中八九、土、だ。
「お前、手、洗ってねえだろ」
「おん? おお、忘れちょったぜよ!」
「ぜよ、じゃねえ! ちゃんと洗ってこいよ!」
 からからと笑う陸奥守の手を振りほどいて見れば、案の定手袋に茶色い土が付いている。手袋のみならず指先にも土が付いていて、何も気にしないような呑気な陸奥守の笑みについ声を荒げてしまう。
「洗えばえいろう。ほがにほたえなや。おんし、見た目と違っておぼこいのぉ」
「あ? 誰が子供っぽいって?」
 先程の泣き虫という言い方といい、子供扱いされることに和泉守はむっとする。睨みつければ、その視線に怯んだか陸奥守の瞳が一瞬揺らぎ、けれど瞬きをした次の瞬間には呆れたような色が浮かんでいた。
「おぼこいがはおんしじゃおんし。土がついたばぁでぎゃあぎゃあ騒ぎよって、まっことおぼこいちや」
「ああ? これはお前のせいだろ」
 陸奥守のからかいを含む言い様に苛立って、こいつとは喧嘩ばかりしそうだと、つい先程思ったことを胸中で撤回する。
「ほらもう、言ってる側から喧嘩しない!」
 口喧嘩が始まりそうなところで堀川の制止が入る。ぐ、と素直に押し黙った二人に堀川が苦笑して、審神者の代わりに指示をだした。
「兼さんは手を洗ってきて。本丸の案内はそれからね。陸奥守さんは内番に戻らないと」
「おん、そうじゃな」
「……判ったよ」
 堀川はにっこりと笑みを浮かべ、有無を言わせぬそれに二人は同時に頷いた。その後ろでは布を被った男がじっとこちらを見つめ、審神者がおろおろしながら堀川と二人のやり取りを見ている。
「陸奥守さんは兼さんを井戸に案内してあげてください。兼さんは終わったらまたここに戻ってきてね」
 はい、行った行ったと、言葉を発する間もなく部屋を追い出された和泉守と陸奥守の目の前で、ぴしゃりと戸が閉まった。
「国広のやつ……。俺は来たばっかりだってのに放り出しやがって」
「おんしは堀川がおらんとなんちゃーできんがじゃったか。まるでおひいさんみたいじゃの」
「なんだと? それは聞き捨てならねぇな」
 子供扱いに加え姫とは言ってくれるじゃねえか、と湧き上がる苛立ちのままに陸奥守を睨めつける。真正面から和泉守の睨めつけを受けても、陸奥守は臆した様子もない。それどころか、からからと笑っている。なにか言い返そうとするも、開いたのは口ではなく背後の戸だった。
「兼さん、陸奥守さん。仲がいいのはいいけど、僕、なんて言いましたっけ?」
 中から顔を出した堀川がにこりと笑う。その顔には言い知れぬ威圧感があり、思わず顔が引きつる。
「井戸行ってくる」
「わしも畑に戻るぜよ」
「はい」
 満足げに一つ頷くと、堀川はぴしゃりと戸を閉めてしまう。そんな堀川の様子にこんなに放任だったか、と思いながら、和泉守は息を吐いた。
 これ以上ここにいると、また理不尽に怒られるだろう。さっさと井戸へ行って手を洗ってこようと歩き始めた和泉守の髪が、後ろへと引っ張られる。引っ張られたせいで体勢を崩しそうになるが、足で踏ん張りすんでで堪えた和泉守は、その足を軸に後ろへと振り返った。
「いきなり何しやがる!」
「おんしこそ、なにしゆう。井戸はこっちぜよ。着いてき」
 引っ張っていた和泉守の髪の毛を離した陸奥守は、そう言って和泉守が向かおうとした方向とは反対へと歩き出す。連れて行ってくれるのかと揺れる黒茶の後ろ髪を見ていると、陸奥守は数歩歩いたところで立ち止まり、こちらへ顔を向ける。
「おんしはこん本丸に来たばかりやき、場所がわからんじゃろ? 堀川にも頼まれちゅう、案内しちゃるき、しゃんしゃんと行くぜよ」
 早くと促されるまま和泉守が陸奥守の横に素直に並ぶと、井戸は畑の隅にあるのだと言って陸奥守は歩き始める。
「本丸は広いきに、覚えるまではうろちょろせん方がええ」
「そんなに広いのか、ここ」
「おん。もう四十振りはおるきのぉ」
 きょろりと辺りを見回してみるが、本丸の奥に位置するこの場所からではその一部しか見ることが出来なかった。だが四十も刀剣男士がいるのならば、与えられる部屋や畑などの拡張が行われていてもおかしくはない。
「太刀……じゃあないがか。打刀ん中じゃあ、おんしが最後の方じゃ。まぁ、せっかく来たがやき、おんしも人の姿っちゅーもんを楽しむとえいよ」
 人はまっこと面白いぜよ、と陸奥守が言う。
「人、ねえ」
 土に汚れた己が手をじっと見て、動かしてみた。己の意思で動く身体は人と全く同じようでいて違う。この手でこれから己自身となる依代を握り、敵を倒していくのだと思うと、高揚感が生まれる。
 なんの因果か、意志と肉体を持って、ここに呼ばれた。刀を振るう為の術を得たのだ。
 ぐ、と手を握る。もう二度と、守れないことのないよう、力を付けていかなければいけない。その為にはまず、この身体に慣れなければ。
「どういた?」
 かかる声にはっとして、和泉守は顔を上げた。いつの間にか立ち止まっていたらしく、少し前で陸奥守が首を傾げながら立っている。
「なんでもねぇよ」
「ほうかえ。何か違和感を覚えたりのうが悪くなったら、ざんじ審神者に言いや。器言うたち、こっちの姿で過ごさんといかんからのぉ」
「へえへえ、判ってるっての」
 陸奥守の忠告をへいへいと手を振って軽く流した和泉守は、止まってしまっていた足を動かして陸奥守の横へと並ぶ。だが今度は陸奥守がその場に立ち止まったまま動こうとはしなかった。
「行くんじゃねえのか、井戸」
「おん、行くちや。けんど……」
 先程まで浮かべていた呑気な笑みがふと消え、不思議そうな目が和泉守を捉えた。その視線がまるで己を咎めているように思えて、そんな事はないだろうに和泉守は動揺する。先程も同じ事があったなと頭の片隅でぼんやりと考えながら、言葉を切ったままじぃと見つめる陸奥守に問う。
「な、なんだよ」
「聞く時を逃しよったけんど、おんし、羽織はどういた」
「羽織? ……ああ、新選組のだんだらか」
 こくり、と陸奥守が頷く。そういえば先程部屋に乗り込んできた時に、己を見て驚いて何かを言いかけて遮られていたことを思い出す。あれは、堀川と同じくだんだら模様の外套について問おうとしていたようだ。
 陸奥守も堀川と同じように、演練で他の本丸の和泉守兼定を見たのだろうか。和泉守の肩と背に浅葱色の羽織が無いことを確認して、不思議そうに目を瞬かせている。
「羽織じゃなくて、外套らしいぜ」
「ひとごとのようじゃの」
「オレは顕現したばかりで、他のオレがどんな姿をしているか知らねえからな。顕現した時にはもうなかったんだ。オレに聞かれても知らねえよ」
 だんだらの外套を持たないこの姿で顕現したのだから、実際ひとごとだった。堀川と同じことを聞かれて僅かばかりうんざりしているのが伝わったのか、陸奥守が眉をひそめる。
「ありゃあ、おんしの誇りじゃなかったがか」
「……まぁ誇りって言ったら誇りだな。オレの主の、だけどな」
「どういてそれを、おんしは持っちょらんのじゃ」
「だからオレにも判んねぇんだって」
 何故、他の和泉守兼定が持っているという浅葱色の外套を己は持っていないのか。気にはなるが和泉守には思い当たることもなく、顕現したばかりであるので原因など判りようもない。堀川にも言ったが、この姿で呼び出したのは審神者なのだ。己でどうにかできる問題でもない。
「まぁ、ないものはないでしょうがないし、どうしようもねえだろ」
 それで何かが変わるわけではないだろうと和泉守は思う。根拠の無い、ただの勘ではあるが、それは確信に近かった。
「おんしがそれでかんならいいけんど、ちっくと物足りんぜよ。わしらは、あのだんだらも含めて和泉守兼定と認識しゆう」
「オレだって、和泉守兼定だ。羽織がなくちゃ和泉守兼定と認められねえんなら、戦いの中で認めさせてやるよ」
 己は、新選組副長だった土方歳三が愛用した和泉守兼定であるからこそ呼びだされ、ここにいる。
 だんだらの羽織は、主の誇りと心と歩んできた道だ。それは即ち和泉守にとっても誇りであり、己が己である証でもあるが、だんだらがなければ和泉守兼定でないというわけではない。確かに、他の本丸の和泉守兼定が持っているだんだらの外套がないのは幾分か心許ないが、外套がなければ戦えぬわけではない。
 それを、戦の中で証明してみせる。そう言い切った和泉守に、陸奥守は、ふはと気の抜けたような声を出して笑みを浮かべた。
「ほぉ、来たばっかりちゅうんにそこまで言うんなら、期待してもかまんかえ?」
 挑発するような笑みを見せる陸奥守に、和泉守も口角をあげて笑う。
「ああ、任せな。嫌ってほど思い知らせてやるよ」
「おん、ほんなら期待しちょるぜよ」
 はははと声を出して笑いながら、陸奥守が再び歩き出す。その横に並ぶようにして、和泉守も再び歩き出した。じゃり、と土を踏む音が響く。
 空に昇る太陽は高く、未だ昼を回った頃だろうことが判る。雲一つない空は澄んでいて、とても良い天気だ。まるで、己が顕現を喜んでくれているようだと思う。風も気持ちがいい。
 何もない、平和な本丸。
 陸奥守の言葉ではないが、せっかくこの本丸に来たのだ。存分の己の力を振るってやろうと思う。そうして早く力をつけなければ。
 改めて決意をした和泉守と陸奥守の間を、不意に吹いた風が優しくすり抜けていく。その風に揺らされることのない外套の重みを肩に感じたような気がして、僅かばかり寂しさのような、物足りなさのようなものを感じる。
 顕現したてであるがために、未だ精神が固定されておらず不安定なのだろう。きっと、強くなればこの揺らぎもなくなるはずだ。
 じわりと鼻の奥から眉間の間に集まってきた熱を散らすように深呼吸をして、横目で伺った陸奥守がこちらの様子に気づいていないことに安堵の息を吐くと、和泉守は前を向いて背筋を伸ばした。

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いずむつ

青に揺蕩い、赤に消え 上

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