此処から先へ サンプル

SAMPLE

 やっぱりここにいたかと、和泉守は月夜の中に探していた人影を見つけ、息を吐く。夜目が効く打刀になってよかったと、こんな時によく思う。
 徳利と猪口が乗った盆を抱えなおすと、わざと音を立てて縁側を進む。夜の静けさの中ではぺたぺたという微かな音でもしっかりと聞こえるようで、距離を半分ほど詰めたところで人影が振り返った。
「よお、陸奥守」
「和泉守。どがぁした、こがな時間に」
 きょとんと目を瞬かせながら問いかけてくる陸奥守の背後まで近づいて、これ、と持っていた盆を少し上にあげて見せる。
「飲まねえか」
「あがぁに飲んじょって、まだ飲みたりんがか?」
 盆に乗っている徳利に気づいた陸奥守がにやりと笑い、からかうような口調で言う。そこの声には否定はなくて、無言の許可に安堵してから左隣へと腰を下ろした。
「まぁそんなところだな。つうかお前、その頭はなんだよ。おもしれぇことになってんぞ」
 影になっていて見えなかったが、陸奥守の頭の上には短刀達が作っていた和紙の花が咲いていた。頭の右側の、ちょうど前髪をなでつけているところに三つほど。確か己が広間から出てくるときには花などつけていなかったはずだ。
「おお、そうじゃった。どうじゃ、似合うじゃろ」
 花を見せつけるように頭を傾げて聞いてくる陸奥守に、和泉守は眉をひそめた。似合っていないという思いが顔に出ていたのだろう、和泉守の顔を見て陸奥守が吹き出す。
「はっはっは! おんしのその正直なとこは、一年経っても変わらんの」
「褒めてんのか馬鹿にしてんのかどっちだ」
「褒めちょる褒めちょる」
 笑いながら言われてもあまり嬉しくねえなと思ったことも顔に出てたらしく、拗ねなやとなだめられた。
「別に拗ねてねえよ。……で、それ、どうしたって?」
「鶴さんが、広間にこじゃんとあった花は短刀らぁからわしへの贈りもんじゃち教えてくれての。なら綺麗に飾らんといかん言うて次郎がやってくれたぜよ」
「完全に遊ばれてるじゃねえか」
「ほうじゃのお」
 がははと笑う陸奥守は、まんざらでもなさそうだ。むしろ、かなり嬉しそうに笑っている。よほど短刀たちが作ってくれた花が嬉しかったのだろう。祝おうと思ってくれた短刀たちの思いが嬉しかったのだろう。
「けんど、こがなものはわしよりおんしのほうが似合いそうじゃ。一個つけてみるかえ?」
「それはお前が貰ったものだろ、寝るまでつけとけよ」
 言いながら、間に置いた盆から猪口を取って渡す。折角燗をつけてきたというのに、くだらない会話をしていては冷めてしまう。
 何も言わずに受け取った陸奥守の猪口へと徳利を傾ければ、注がれた透明な酒は温かな湯気を揺らめかせる。
「燗酒か。用意がえいのお」
「寒い日にゃ、燗酒だろ?」
 若干の含みをもたせた物言いに気付いてはいたが、気づかないふりをして己の猪口にも燗酒を注ぐ。
「ほにほに」
 軽く猪口を触れ合わせれば、かちりと硬質な音が響く。裏庭に面した縁側には誰の気配もなく、そんな小さな音が聞こえてくるほどには静かだ。熱燗を一口飲めば寒さを和らげるような熱い液体が喉を通り、胃に落ちていく。
「おお」
 一口飲んだだけの和泉守とは違い、一気に飲み干した陸奥守が感嘆の声を漏らす。
「こりゃあ美味いぜよ」
「だろ? 燗酒にしたら美味いって酒を買ってきたんだ、美味いに決まってらぁ」
「んん? わざわざ買ってきたがか?」
「そうだよ」
 今日のためにとびきりの酒をな、と猪口の中身を全て飲み干せば、冬の冷たさに燗酒の熱さが心地いい。この酒は冷えても美味しいが燗酒にすると一等美味いと教えてもらった酒なので、温かいうちに飲んでしまわないといけない。
 空になった己と陸奥守の猪口にまた酒を注ぎ入れる。少しぬるくはなっているが、まだしばらくは大丈夫だろう。
「冷めない内に飲めよ」
「おん。けんど、ほがに上等な酒、わしなんかと飲んでもえいがかの」
 思いもかけない言葉が聞こえてきて、和泉守は猪口に口をつたまま陸奥守を見る。宴会でかなりの量を飲んでいた陸奥守の笑んだ頬は酒によって上気していて、僅かな月光を照らす目は少し揺らいでいるが、理性の方が強い。卑下したわけではなく単なる疑問がぽろりと漏れでただけだろうと見当をつけて、笑みを浮かべて猪口を陸奥守の方へと差し出した。
「あ? なんだよ、オレの酒が飲めねえってのか?」
「おんしゃあ、その台詞は酔っちゅう次郎とおんなじぜよ」
「この酒はな、お前のその頭の花と一緒だよ」
 手に持ったまま口をつけようとしない陸奥守の猪口に己の猪口を軽く触れ合わせれば、なみなみと注いだ酒がゆらと小さく揺れる。それがなんだか面白くて、少しの振動で波が立つその現象を昔に経験したなぁとふわふわと思い出しながら、和泉守は笑う。
 
 

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