青に揺蕩い、赤に消え 中 サンプル

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「なんの用じゃ」
 頭半個分ほど低い位置にある陸奥守が、首を傾げて訝しげに和泉守を見上げた。
「いや、用っていう用はないんだけどよ……」
 ちら、と審神者の部屋を見た和泉守の視線を追った陸奥守は、こちらの言わんとしていることを正確に理解したようだ。おん、と一つ頷くと、審神者の部屋にいた理由を説明してくれる。
「ちっくと、審神者に畑の報告に来ちょったがよ。雨で崩れたとこも直ったき、この機会に畑の拡張をしてもえいがか、っちゅうてな」
「拡張もするのか」
「おん。刀も増えちゅうき、食事の量も増えちゅう。畑も広うせんとなぁ」
 ふははは、と笑う陸奥守はいつもの通りだ。いつもの通りすぎて、逆に怪しい。細めた目に気づいたのか、ふ、と陸奥守の表情が僅か歪む。苦笑というには笑みに混じった苦味は僅かで、けれど長く陸奥守の側に居たせいか和泉守は気づいてしまった。
「用はそれだけがか? 悪いけんど、これから畑に行って博多の面倒を見なあかんき、また今度にしとおせ」
 すまんちや、と言葉だけで謝って、陸奥守は和泉守が引き止める言葉を発する前にその場を去ろうとする。博多と聞いた和泉守は瞬間的に苛立ち、内番の紺色の着物から出ている手首を反射的に掴んで引き止めた。
「おん? なんじゃあ」
 明らかに面倒くさそうな顔をして身体ごと振り向くが、掴んだ手を振り払わないのは陸奥守の優しさだろうか。陸奥守のそんな態度というものは珍しく、とっさに引き止めた和泉守の方が驚いて手を離しそうになるが、ここで逃がしては駄目だと頭の何処かが訴えるまま、逃さないとばかりに力を込める。
 そうして陸奥守をじっと見据えて、ここ数日ずっと思っていたことを口にした。
「お前、最近おかしくねえか」
「ほうかの? 普段と変わりないぜよ」
「嘘つけ。最近俺が話しかけるとすぐ逃げるし、よくぼうっとしてるじゃねえか」
 会話を避けられてはいたが、その姿までも隠れていたわけではない。避けられていると気づいてからは余計に意識して陸奥守の姿を目で追っている内に、たまに曇天の空を見上げてぼうとしていることに気づいた。そういう時もあるだろうと思ったが、平時の陸奥守の様子を知っていて、それが何度も行われていればおかしいと気づく程度には、和泉守は陸奥守のことをよく見ていた。
 今も博多を口実に和泉守の前から逃げようとしただろうと詰めれば、陸奥守は小さく苦笑する。忙しかったからと言い訳が出来るというのに、それをしない。和泉守の気のせいだと言われてしまえばそれまでではあったが、陸奥守のその笑みが気のせいではないと肯定する。
 やはり意図的に避けていたのかと、和泉守は苛立っていく心を表すように口の中で一つ舌打ちをした。
 なんでだよ、と問い詰めても、すまんちやと謝られるだけで、望む答えは返ってきそうにない。なら引き出すまでだと、口を開く。
「あの本丸で何かあったのか」
 声を低くして問えば、一瞬、陸奥守の琥珀の目が揺れる。
 その反応に、あの朽ちた本丸で何かがあったことを確信する。朽ち落ちた本丸と錆びた刀に衝撃を受け、皆一様に動揺していたが、陸奥守はそれだけではない何かがあったのだ。
 朽ちた本丸では、陸奥守は山姥切と共に屋敷の調査をしていた。そこで何か見たのか。何を知ったのか。何があったのか。問いかけても、この期に及んで陸奥守ははぐらかすように力なく苦笑するだけだった。
 あの本丸から帰る前、朽ちた門をじっと見つめていた陸奥守の表情を思い出す。あの時陸奥守はなんちゃーないと言って笑ったのだ。なにもないわけがない。その理由を話して欲しいと思った。頼ってほしいと願った。
 掴んだままの陸奥守の手を強く握りしめる。
「オレじゃあ力になれねえか。山姥切より、頼りねえか」
 比べるまでもなく、己よりも昔から交流のある山姥切のほうが頼りになるのは判っていた。けれど和泉守との仲もそう悪くはなく、教育係だったからとはいえ、ここ数ヶ月程は山姥切よりも多くの時間を共に過ごした筈だ。頼ってくれても、いいだろう。
「吉行」
 真剣に訴える和泉守が見つめる先で、陸奥守は一度瞬きをした後、力なく笑った。またその顔をするのか、と心の臓が痛む。口を真一文字に引き結んだ和泉守に、陸奥守がその心中を知ってか知らずか、力ない笑みのまま告げる。
「おんしやき、言えんがよ」
 そうじゃないけれど、と否定し言い訳をして欲しかったというのに、陸奥守はきっぱりと和泉守だからこそ力になれないと、きっぱりと言い切った。
 
 

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